ハナムスビ オフィシャルブログ

お豆のレストランをはじめに、こころ・からだの健康を提案していきます。愉しいこと、気持ちいいこと、嬉しいことを健康から!

伊那谷で初めての収穫祭

大地は偉大なり。

今、産まれて初めてと言えるほどの豊かさを味わっている。

これから一年分のお米があり、
カボチャ、芋、サツマイモ
あるいは豆類などの保存がきく食べ物があり、
今まさに収穫を迎えているネギ、大根、白菜は雪解け頃までもつので、
暖かくなるまで食料はこれでしのぐことができる。

自分たちの手によって育てられた安心できる食べ物だということが何よりじゃない。

一年を通して今出ている食べ物が一番美味しい。
新米、新蕎麦、里芋、サツマイモ、ネギ、落花生、カブ、、、
滋味というのかな、夏野菜のみずみずしいフレッシュ感と違い、
深い味わいが(土の香りなのかな?)感じられる。

昔だったら当たり前のことだけど、
それらを子どもに食べさせられることの歓びもある。
どうなってほしいとか遠い希望ではなくて、
どう身体を創るか、どう心をはぐくむか、
それを食を中心とした生活でやしなっていくのがいい。

僕は農作業や大工仕事をやりながら仕事に行き、
マイコは子どもを見ながら隙を見て農作業をする毎日は多忙で、
余裕のある生活ではないけれど、
食をはじめ、自分で何事も創り出していく生活はとても豊かだ。

やることあり過ぎて余計なことを考える暇がない、ってこともある。
やることが義務か、自発的かで180度ベクトルが変わるけど、
後者なら気持ちは満ちているね。

この豊かさはどこからもたらされているのか?

それは、
陽(火)であり、
大地であり、
水であり、
微生物であり、
風であり、、、

多くの僕らを取り巻く環境全てなんだ。

感謝祭

今年は、
多くの人に伊那まで来てもらい、
米や野菜にたくさん触れてもらった。

多くの人の前向きなエネルギーが
強く、しなやかで、美味しい作物を育てる。
自分たちが食べ、ベイビーが食べ、先祖様にお供えする。
これがハナムスビの目指す食と健康。

ホント、今年一年、無事に育っていただきました。

美味しく頂きます!

ありがとう。

手伝ってもらった多くの仲間をはじめ、
全ての僕らを取り巻く環境に深く感謝します。

syuukaku.jpg


さあ、まずは森に学ぶよ

ハナムスビは、
何が起ころうとも生きていけるチカラ、
生活における身体の使い方、知恵をひたすら学んでいます。

ヒントとなるのは地球一個分の暮らし、
つまり産業革命から現代にいたる地下資源を利用した暮らし以前の生活。

そこに戻るわけではなく、
天変地異をはじめ、
いつ何時、何が起ころうとも、その生活ができるという自信をつけること。
いつでも来なさい、と。
その自信こそが現代を生き抜く力の源泉であり、
身体を軸とした幸福・健康の基礎となるからです。

600万年の進化から身体がどう設計されてきたか眺めると、
これからの時代は、
進化のグレートジャーニーを旅することが求められていると思う。
そして面白い。
深く記憶や身体に刻まれている、
しかし産業革命から現代にかけて眠らせてしまった動作や知恵のスイッチをONにするのさ。

科学技術が発展して、AIやロボット技術が人間に近づこうとも、
所詮人間が創り出したもの。
完全ではない。

「想定外だった」

あの言葉が示したように、
いつだって自然の脅威にさらされて、
〝ふりだしに戻る″の目が出る可能性がある。
これを「想定」することが、311の最も大きな教えなんだ。

技術開発は人の生活が楽になることを前提としているから、
その開発が進めば進むほどに、
600万年かけてきた作り上げてきた脳を含む身体力が弱まってくる。
科学技術と身体の強さは反比例する。

現代病と言われる病も、
その科学技術の発展がゆえ、
直接的、間接的にもたらされていることが明らかになっている。

ということで、
何が起ころうとも生きるチカラ、
そして、
科学技術の発展がため弱まっているヒト本来の力を取り戻すため、
地球一個分の生活からヒントを得てトレーニングしていきます。

戻る、では能がない。
地球一個分の生活における身体の使いは左右対称ではないし、
同じ動き(例えば地面から物を持ち上げるなど)を何度もすることが求められるので、
現代のトレーニングもとりいれながら
(体幹のトレーニング、非対称になった動きの補助、ストレッチ等)
未来に向けたヒトを作り上げていく、、、

ハナムスビの方向性。

愛ある未来に向けてね。

さあ、いきましょ。

これから何年か森、里山に入って生活の基礎を学んでいきます。


原初の森。
森は水を生み、木を育て、酸素を放出する。
木は家になり、乾けば燃え、時に僕らに食べ物を与えてくれる。

森(里山)は人の生活そのものだ。

豊穣な森は、豊穣な海を作る。
これも近年よく言われていること。

僕らはもう一度森に入りなおし、学びを得ていく必要がある。

さて、今回は元自衛隊員で、あのトム・ブラウンのところで
自然との共生、サバイバルについてトレーニングを受けてきた先生に学びます。

何も持っていない状況にさらされたとき、
まずあなたは何をしなければならないか?

食料もなく、着るものも十分でない、、、

まず体温をキープすることを念頭に入れる。
体温はエネルギーだから、手持ちに食(エネルギー)がないのなら、
外の環境から熱を奪われないようにしたい。

寒ければ服に枯葉を詰めるのも良し。
新聞紙があれば丸めて詰めるのも良し。
とにかく、最初の一手でエネルギーロスをなるべく減らす。

今回デブリハットというシェルターの作り方を学びました。

枝と枯葉。

方角、水に近いか(近すぎてはいけない)、食料確保ができるかどうか。
場所選びこそがギリギリの世界で明暗を分ける。

DSC_0601.jpg
太い枝をはりにして、入り口の二本で支えるだけ。

DSC_0602.jpg
順次枝を置いていく。最初は縦に。骨組みができたら横にも。

DSC_0610.jpg
隙が無くなるくらい枝を置いたら枯葉を敷き詰めていく。

DSC_0616.jpg
分厚く出来上がったら、中にも枯葉を入れていく。

DSC_0623.jpg
入るとき難儀するけど、枯葉が毛布となり、かつ外気にさらされないので十分な温かさが確保できる。

DSC_0631.jpg
4人乗ってもびくともしない!

後半は弓引き式、もみぎり式の火おこし!

火はヒトの文化史において最初のイノベーション。
火が扱えたからこそ、暖がとれ生活環境の北限が延びたし(ベーリング海峡をわたれたのも暖が取れたからに違いない)、
硬くてそれまで食べられなかったものが食べられるようになり、食料確保が楽になった。
火は僕らにとてつもない恩恵をもたらしたのだ!

火を知ることは、進化のグレートジャーニーの第一歩を踏み出すことになる。
だからとても重要。

現代、エネルギーと言えば石化燃料をはじめ原子力、
水力、太陽光、、、様々な熱源があるけれど、
もとは木を燃やすという単純なもの。

それも近代までは木が主流だった。
里山から小枝や枝を運び、
それらを燃やし、時には炭にし、、、
(炭づくりの技術も学ぼう!)

マッチやライターが全くない状態で火を起こす。

一回ではできませんでしたが、
必ずマスターします。

次回は12月に予定してます。
グレートジャーニーするよ!

DSC_0634.jpg
シュンスケ隊長!

子どもたちのボランティア

稲作が終わりほっとしたのもつかの間、
干し柿に惚れこんでしまったカズさんが渋柿をたくさん採ってきた(800個くらい)。
それもようやく干し終わりほっとしたのもつかの間、
カブ、大根、白菜が漬物にしてねと待ち構えている。
お味噌用の大豆も収穫、乾燥中で選り分ける作業が控えている。
ゴマ、いんげん豆、小豆などが処理途中の状態で倉庫に置かれている。
干し芋もそろそろ取り掛からなくては。。。

でも!ひとまず!落ち着いたと言おう。
というわけで、10月から息子と高齢者施設に週一回通っています。
赤ちゃん連れでハンドマッサージのボランティア。

息子が部屋に入ると「待ってたよ~」と歓声があがり、
私が施術している間、ケイゴは職員さんや利用者の方に抱っこされている。
赤ちゃんは空気を和ませる天才。あまりお話しない方も、息子にはニコニコ笑いかけてくれる。
たぶん私のハンドマッサージより皆さん癒されている(笑)

そんな話をポツポツと年長の娘に話していたら
「イオリもそこに行ってみたい!ボラに行く!」と言い始めた。
保育園が大好きで、用事で休んだり早退することになると(それが遊びでも)嫌がる娘が…
『ボラ』をどうとらえているのだろうか。

そう思ったとき、「ボランティア」を子どもにどう説明すればいいのかわからなかった。
聞かれたわけでないので、行って母がどんなことしているのか見ればいいだけなのだけど。
私も「ボランティアしてるんです!」と言うほどのことはしてない感が強くて。

東京にいたときもハンドマッサージのボランティアをしていた経験もあり、
育児中で仕事ができない間は
人に触れられること(施術)を、赤ちゃん連れでもできることを、地域を感じられることを、
無理のない範囲でやりたいと思ってそれがかなっている状態。

イオリさんの「ボラ」デビューは、というと
皆さんからの注目に恥ずかしくなってしまってほとんど会話もできず
ケイゴとはじっこで遊んで終わってしまった。
(おかげでいつも一度は泣くケイゴも一時間私から離れても泣かなかった)

それでも「また行きたい」と言っていた。
利用者さんたちが歌う歌は知らなかいものばかり(私も半分以上知らない!)。
母は利用者さんのところをまわっていてイオリもケイゴも構ってくれない。
でも皆さんからの「来てくれてありがとう」「今度は折り紙しよう」「また来てね」
そういった声かけが嬉しかったのかもしれない。

行ってみて想像と違ったそうだけど、それがどう違ってどう思ったのかは話してくれなかった。
彼女は自分の中で気持ちを消化してから口に出すから、いつか話してくれるかな。

奉仕活動、とか
地域貢献、とか
言葉にすると全然違うかんじがしてしまう。意義を見出そうとも思わない。

ちょこっと顔を出して皆さんが喜んでくれるなら嬉しくて、
子どもたちがそこに加わってくれることがありがたいなぁと素直に思った。
私たちなりの地域活動。

IMG_5993.jpg

今年もがんばった干し柿


確かさを感じる暮らし

息子が産まれて9ヶ月が過ぎた。
3回食になって食べられるものが増えたり、
ハイハイ(ずりばい)でいつの間にか廊下に出ていたり、
「バイバイ」と言うと手を振ってくれるようになったり、
成長を感じさせられる今日この頃。

でも『9ヶ月』
は、私にとって少し特別で、哀しい響きを持っている。

長女イオリが9ヶ月の頃に、あの大震災があったから。

外出先のビルの8階でぐらんぐらんと床が揺れ、棚から物が飛んでくる中
唯一頭を守れそうだった施術ベッドの下にもぐり、
イオリを抱っこして「大丈夫」と声をかけながらも
このまま一緒に死んじゃうのかもしれないと思った。
きょとんとした目で私を見上げるイオリの顔を今でも思い出せる。

その後、余震や原発の不安で閉じこもりがちな毎日を過ごし、
被災された方のことを思っては胸がしめつけられたあの頃。
スーパーからは水や食料品がなくなり、
静かな奪い合いに悲しみを感じたあの頃。
それまでの価値観や確かだと信じていたことが揺らいだあの頃。
『いのち』の重みをこれまでにないくらい感じたあの頃。

9ヶ月の娘の存在に、どれだけ助けられたか。

今、9ヶ月の息子を見ていて、
平穏で、健やかで、心から笑えることがありがたい。

伊那谷に移住した直接の理由ではないものの、
やはりあの大きな出来事をきっかけにハナムスビは生まれたし、
今の生活、自分たちの手や身体を動かして「生きるために活動する」生活がある。

お米がたくさん収穫できて。
芋、かぼちゃなどの野菜が倉庫に常備されていて。
畑には葉もの野菜や冬の根菜類が埋まっている。
もちろんお豆さんも植えてあるし、キッチンにはストックがある。

近くには水が湧き、家には火をおこせる場がある。
何かと声をかけてくれて、野菜や果物をわけてくれるご近所の方もいる。
薪に使えそうな木を、あちこちの方が庭にどんどん置いていってくれる。

目に見える、もしくは目に見えない確かさを感じられる生活。
そして何かあれば「あの人は困ってないかな?」と自然と思える暮らし。

本当に忙しくて、やること満載で、0歳児がいるとは思えない日々だけど、
娘の9ヶ月と息子の9ヶ月では、心の持ちようが全然違う。

偶然だけど、今月から始めたボランティア先で被災された方に出会った。
「いのちだけは助かったけどね。何もかも、何もかも流されてしまったの」
6年7ヶ月という歳月を感じさせない言い方だった。

大きな災害は起きないでほしい。
でも起きたときのことを想像しながら暮らすことも必要。

自然の美しさを見つめながら、そう思う。

IMG_5889.jpg

冠雪はまだ見られない。
空気が澄んでいる。


IMG_5867.jpg

「ピーマンとししとうは霜にあたると一発でダメよ!」(今週氷点下になる予報)
お隣の農家さんに昨日教えてもらい、実と葉を採る。
葉も食べられるそうで、試したらほろ苦く美味しかった!


IMG_5897.jpg

里芋は土の中で保存するといいと知り、
イオリと「落とし穴つくろ~ウシシシ」と言いながら掘って埋めた。
奥にあるのは小松菜、ほうれん草。


IMG_5836.jpg

さつまいも掘り~♪干しイモもつくろう。


IMG_5887.jpg

小豆、パンダ豆、うずら豆。かわいい。


穀霊信仰とハナムスビの稲作

稲刈りが終わり、今年の課題が一つクリアできそうだ。
コメの完全自給!

と言っても諸経費やら何やらで市販のお米よりは高くつく。
場代、トラクターでの代掻き、機械レンタル、、、
来年は費用をもう少し下げていきたいけれど、
機械は自分のものではないし、
機械を使わないとなると時間がとられてしまうから、
その頃合が難しい。

できることはある。
来年につなげていこう。

今年も無農薬無施肥、ただただ草取りに追われた稲作だったけど、
やっぱり銀シャリを口に含んだ時の歓びは他に代えがたい。
うまい!
一粒一粒、ストーリーを内包した、美味しいお米ができた。
(もう一つの田んぼのお米、農林48号は乾燥中)

生まれたてのケイゴは問答無用、
母ちゃんの背中におぶられビシバシ草刈りに駆り出され、
イオリはもっともっと遊びたいだろうけど田んぼにとどめられ、
五月から八月まで家族総出だった。

いい。

それでいい。

僕らはそれを学びに来ているのだから。
それと、
僕らハナムスビが目指す米作りは、
コミュニケーションであり、
コミュニティーの再構築であり、
食品が工業製品であることへのカウンターであり、
良質な成長であり、
穀霊信仰であり、
共進化である!

東アジア圏では稲作が農の始まりだった。
農は狩猟採取と違い余剰分を創り出したので、
定住型の生活を発展させ、
都市を構築し、中央集権を生み出し、
現代につながる文化を花開かせた。

僕ら東アジア圏に住む者は、
お米と共進化しながら今に至る。
あらゆる文化はお米が採れたから発展した。

それがまぎれもない事実で、価値でもある。

古代からお米は霊的な力を持つとされ、
天皇即位時には神人共食といって、
お米を利用し神の領域へとトランスする儀式が未だにあるくらいだ。
穀霊信仰は僕らの基本。

日本という地に生きるということは、
好むと好まざるとにかかわらず、
そういう霊的な背景がバックグラウンドにあるということを忘れないでいたい。

だから僕らも、そんなストーリーを背負ったお米づくりをする。

今年はケイゴをはじめ、
多くの仲間に子供が誕生した(する)。
嬉しい限り。
そんな子供たちの離乳食の一発目に食べてもらいたいし、
お母さんの栄養に食べてほしい。
仏さまにお供えしてほしいし、
病気の回復食に使ってほしい。
あらゆる生活の世代を超えたつながりに僕らのお米が役立つと嬉しい。
そして多くの人の健康に、、、

今年は特に多くの仲間に携わってもらった。
田植え、草刈り、稲刈り。
多くの人がこのお米を育てることで、
その良質なエネルギーが次世代の子どもたちへ、
あるいは先祖様たちへの感謝へと繋がるはずだから。
この場を借りて感謝します。
ありがとう!

もっと、もっと。
そんなお米作りを目指して来年もがんばろっと。

とりあえず、大きく一息。

無事収穫できたことに感謝します。

食は生きるということ。
自分が納得のいくお米がとれることは、
生きることが肯定されるということ。

もっと真摯に高めていきたい。


DSC_0517.jpg


前のページ 次のページ