12月に入っても暖かかった伊那谷
とうとう、外に出たときに思わず「さむっ」と口から出てしまう寒さがおとずれた。
でも、ちょっと嬉しい。冬はこうあってほしい。
ひんやりした空気の中、イチゴ畑に向かう。
今年は夏が暑すぎて、雨も少なくて、苗たちを上手に育てられなかった。
イチゴは、ランナーというツルを伸ばして、次世代の苗を増やしていく。
人間の「へその緒」のイメージ。
親から子、孫、ひ孫の苗へとランナーが続いていくので、
土に馴染んだ頃、孫とひ孫をプランターに入れ替えて
(子株は病気になりやすいので、それ以降の代を残す)
虫がつかないように大きく育ててから、耕した畑に戻し
周りを保温(稲わらを敷くだけ)して春に備えるのが通常。
それが今年は
ランナーの先についた小さい苗が土に着地できないくらいカラカラで、
苗が少なく、小さいものばかりだった。
プランターに移したらダメになってしまいそうで、新しい苗を買おうか迷ったくらい。
それでも秋の間にちょっとずつ増えて土に定着していったようすを見て、
今年はプランターに移さず孫たちを子株から切り離し、土に残したまま冬を越してもらい、
春に実をつけてもらうという作戦にした。
まぁよく枯れなかったな、と思うくらいイチゴは強いようだ。
そもそも毎年「こぼれ苗」から自然に育ち、実をつけてくれる。
(ただし、実が小さく色も悪いし少しすっぱい気がする)
そんなわけで土全体を耕せなかったので、
雪が降る前に雑草を取り除き、生き残った苗たちの周りにわらを敷いた。
厳しい寒さを経験することで、イチゴは美味しくなるらしい。
チューリップの球根も、秋に植えて冬を越させることでキレイに花が咲くという。
人間にも当てはまるよね、なんてことを思いながら雑草を取る。
楽しい・・・
ひとり黙々と土に触れ、
普段は思い出さないようなことが頭をよぎったり(既になんのことだったか今思い出せない)
今年のアレコレを振り返ってみたり、
雑草を取るという単純行為は、日常から少し離れられて心にとてもいい。
(短い時間なら!夏は苦痛も伴う!)
敷き藁から覗くイチゴの葉たちに
来年の春も子どもたちを喜ばせてくれるようお願いをして、
次の作業へ。娘を呼ぶ。
サツマイモの収穫が終わると、畑に残るのはネギと白菜と大根だけ。
枯れ草だらけで物寂しい色合いの畑から、大根と白菜を全部収穫。
娘がスポスポと大根を抜き、
一輪車をうまく操縦してテラスに運んでくれる。
なんてたくましい。
そして大根の姿の立派なこと!

白菜は包丁で根元を切る。
今年はうまく巻かなかった白菜が多いけど・・・
でもこの冬もたくさんお世話になるはず。
娘の多大な協力のおかげで(あ、2歳の息子も一緒に大根抜いてくれたか)
収穫は午前中で完了!少しの間テラスに置き、土をはらって家で保管。

今年最後の畑仕事。
夜は厚着して今年最後の?バーベキューで盛り上がる。
今年最後の!自家製もち米のお餅を炭火焼でいただく。
師走だなぁ。今年最後の、を楽しむ。
臼創り、二年目。
「いい欅(ケヤキ)があるからなにか作ろうよ」
盛木材の盛ちゃんの言葉から始まった臼創り。
乾燥させながらゆっくり創りこむから出来上がりに最低3年かかる。
去年は(
こちら)欅を切り出したので、
今年の作業は外観の仕上げと、中の荒削り。
「明日のお昼、お餅つこうか?」
と前日の夜用意して気軽に食べられるような、それほど大きくない臼から、
大きめの臼までサイズが選べます。
自分で創った臼で、美味しい餅を食べるのは歓び以外の何物でもない、、、
その臼でついた餅で鏡餅をつくり、その年の福を呼び寄せる、、、
最高じゃないですか。
周りの、愛する人たちに鏡餅を。
これほどこもった鏡餅もなかなか。
そう、こういう福を呼び寄せる行事、しきたりくらい手を抜くのをやめたいもの。
スーパーで機械が作ったものを買ってすませる、ではなく、
福のために時間を費やし、手を使う。
気モチの問題だから。
そう想うと、
やはりモチ米を作るところから始めたくなる。
一年、身体を整え、心を調和させながら稲作をし、
年末、収穫したモチ米で来年の福を呼び寄せる、、、
いいですね。
さあ、まずはみんなで臼を創ろう。
数が限られるので早めにご連絡ください。
日時 11月10日(土曜日) 9時から16時頃まで
場所 盛木材(伊那市高遠)
費用 12000円
一日かかるので、お昼ごはんは持参となります。
作業内容は、外観の切りだし、臼の荒堀り、杵の製作となります。
マイチェンソーがあれば、作業がはかどります。
今回は臼づくり名人の北原たくおさんに色々と教えてもらいます。


北原さん作。こんな臼が作れれば
子どもたちとワイワイやりながら、福をよぶ臼をみんなで創ろう!!!
*10年かけて山から木を拾い集め、セルフビルドで創った盛ちゃんの家は一見の価値あり。
排水は炭で濾過されビオトープとなり、排泄物は肥料となる。パーマカルチャーの家。
生活自体がエコロジー、地球への感謝を感じるよ。
しばらく、
森と生活、木のある生活、木と火、木と土、
木で工作、木と遊び、木と健康、木と幸福、、、
こんなキーワードをもとに、
身体を使った生活がいかに豊かで、
生き生かされていることに感謝し、今を大切にしていけるか、、、
参加者みんなとシェアできるような企画をやっていこうと思います。
ピーマンをふたつとってきてくれる?
とお願いしたら、はーい!と澄んだ返事をし、
タタタっと玄関を出て、畑に走り、ちょうどいい大きさのピーマンを持ってきてくれた娘。
正直、「えー」とか「今はできない」と返されると思っていたので、
嬉しい裏切りとしてその場面をよく覚えている。
作っていたのが大好きなピーマンの肉詰めだったからかもしれないけれど。
タネが少し多くて、畑で実っているピーマンの追加がほしかったのです。
娘は去年ほどは農作業をしたがらなくなった。
それでも何かしら関わってくれているし、いろいろなことを把握し、記憶している。
息子は、私が畑に出るとたいてい追いかけてくる。
左右逆の長靴をはいて、「おかーちゃーん」と呼びながら雑草をかき分けて来る。
食べごろのトマトを見つけると「食べていーい?」と聞きながら
既に口に入れようとしている。
「うまーい!」と言ってしばらくトマトの傍から離れないので、
私はその隙に他の野菜を収穫したり草むしりをする。
夏の終わりはトマト以外にも興味を示し、ナスやオクラやピーマンも採ってくれた。
ちゃんと大きさを見極め、形や色が変だと思うと、切っていいのか確認する。
きゅうりはサラダに入ったものや薄く切ったものは食べない。
でも1本を長くスティック状に切ると、何本も食べる。
今年の夏は暑すぎて雨が降らない期間が長すぎて、
人間も野菜たちも疲弊したような気がする。
初めて冷房が要るかもと思うくらいだったけど、なんとかなんとか乗り切った。
朝晩ちゃんと涼しくなるのが救いだったし、
こんな環境でも根が水分を探して育ってくれた夏野菜のおかげだなと思う。
娘が日記にじゅわっと感を綴るほど美味しかったトウモロコシは8月初めまで。
夏の定番、採れたて枝豆の甘さも堪能。(水不足がひびいて収量は少なかった)
加熱用のトマトの保存も先週終わらせた。
アブラゼミはまだ鳴いているけれど、ヒグラシのハーモニーはとっくに聴こえない。
夜になると秋の虫があちこちで鳴いている。
蛙が減って、トンボが増えて、稲穂がこうべを垂れはじめ
残暑は厳しくてまだ汗ばむ陽気でありつつも、自然界では秋が始まっている。
毎日があっという間で、なんでこんなにせわしないのかと振り返ると、
共働きで2人の子どもがいる夏って初めてだったんだ。と気づく。
稲作やっていたら、今頃倒れていたかもしれない・・・
秋は秋で収穫もイベントも盛りだくさん。
ありがたいことにもう小学校は2学期が始まって、今日は8月最後の休日。
ちょっと立ち止まって、野菜と子どもの成長を綴ってみたのでした。

なぜあの時メキシコの地に立ったのかは、よく分からない。
21歳の頃、もう、四半世紀も前のこと。
とにかく遠くに行き、言葉や習慣の全く異質なところに身を寄せたかった、自分にインドはまだ早いと思っていて、むしろラテン気質だと勝手に思い込んでいたからかもしれない。
そうだ、デッドのオークランドのショウで、隣にいたヒッピーが「グアテマラいいぞ~」と教えてくれたのが大きい。
中米に半年くらいいた。
メキシコ、グアテマラを中心に、シティーにジャングルに、自由気ままに行き先を決めていた。
ペンションアミーゴのケンさんを中心とした住民は一体何をしているのだろうか?
ギター一本で放浪していたジプシーのセルジオ(後に殺人者だと知った、、、)はどこへ行ったのだろうか?
中米、、、
トルティーヤとサルサとインスタントコーヒー(コーヒー豆が取れるのにインスタントの怪があった)は常にあり、サルサは家庭の味というのか、辛味の強いものから薬味の強いものまで幅広かった思い出がある。
トルティーヤ
僕がその存在を知ったのは十代のころアメリカンレストランで働いていたころだ。
メニューにタコスがあった。
シーズニングで炒めたひき肉、レタス、トマト、玉ねぎ、チーズを挟み、お好みでサルサ、サワークリームをトッピングっするというもの。その手のレストランではおなじみの、のちにアメリカへよく行くようになってからはタコベルというファーストフードでお世話になった、あのスタイルだ(タコベルは野菜が少なく、もっと粗雑な食べ物だった)
ところがメキシコ、中米ではそんな食べ方をしていなかった。
トルティーヤを何も挟まず葉巻のようにクルクルクルと巻いて、おかずをスプーンなりで口に運んでから、その巻いたトルティーヤを食べる、、、器に残った微妙な食べ残しをすくうためにトルティーヤを使うこともあったけど、最初から何か具を挟むことはなかった。
すなわち僕が世界を知らなかった頃、メキシコ何ぞや?を思い描いて、タコスがあるぞ!とかってに決めつけていたのは、実はアメリカのメキシコ風の食べ物だったのだ。
滞在中、主食ゆえ大変お世話になった食べ物、トルティーヤ。
せっかくだから作ってみよう。
そんな気になるのは、家に製粉機があるから。
ポップコーン用につくったコーンが余っていたのでそれを製粉してみた。

小麦に比べて、コーンをひくと熱をもつ。

小麦もひいた。

キレイな、光沢のない黄色。

コーンの量が少なかったので、小麦、そのふすまも混ぜた。

その対照的な色にしばらくハマっていた。

指でグルグルうずを描いてみた。

それを円を描くようにふるってみた。三位一体のイーヤンだね!

トルティーヤ焼けた。ん、、、もっと水分量を多めにタネを作るべきだったか、硬い。

これは外せない。田中家おなじみのワカモレ~。今度トルティーヤチップス作ってもいい。

タコス! パクチーもりもりで。

昼はうどん、夜タコスな粉もんの一日。
皮はふすまが多く、コーンが少なかったせいか、ふすまの雑味の味が濃く出てしまった。
400グラムの粉に対してレシピでは300グラムの水だったのだけど、普段、麺、餃子の皮ではそんなに入れないので、経験的に水の量を少なくしたら皮が硬くなった、、、のかもしれないし、そもそもそれぞれの粉がパサつくのかもしれない。
次はブリトーかな。
具材的にはブリトーのほうが遊べる。
4月から徐々に種まきや苗づくりをしている。
じゃがいも、葉もの(レタスやほうれん草)に始まり、
6月に入って落花生やとうがらしの定植。
150坪の畑の見取り図によると、30種類の野菜が植わっている。
30!!
数えてみてびっくり。いつのまに!
まだオクラやモロヘイヤも控えている。
カズさんが土を耕し、丁寧に畝をつくってくれる。
今年は稲作をしない分、畑に手をかけられる。
とは言っても気を抜くと雑草が一気に増える。
どこから種が飛んでくるんだろう。
黙々と雑草を抜く作業は嫌いではないけれど、
その繁殖の勢いに感心するけれど、
無農薬の畑、野菜づくりにとって大変なのはひたすら雑草と害虫。
敵にしないで共存する方法、とか読んだり聞いたりするけれど、実際はなかなか。
時間、経験、知恵。
土づくりは奥が深い。
陽ざしが強くなってきた。
今朝5時に畑に出たら、涼やかで朝日が力強くて、
畑仕事はやっぱり朝早くがいいな。
2018・畑の記録

豆系は元気がいい。さすが!
手前はスナップエンドウ、モロッコいんげん、枝豆と続く。

毎年、孫・ひ孫株を育てているイチゴ。
昨年東京から遊びに来た友人がイチゴ専用のスペースをつくってくれた。
毎日赤い実が見られ、写真を撮る前に2歳の息子に食べられている。
娘は「食べていい?」と聞くけど、息子は勝手に口に入れる。

今が旬のほうれん草。
家計を気にせず、好きなだけモリモリ食べられるってありがたい!

ジャガイモの花が咲き始めた。
雑草取りながら虫チェック、退治も日課。

ブロッコリーは葉が元気だった。
でも最近虫がついてきたらしく・・・あぁ見たくない。

サトイモの葉も出てきた。
特に水を必要とするから、朝夕水やり。でももう土が乾いてる・・・
この時期は毎年畑のブログを書いている。
種蒔いて、間引きして、水をやって、と作業は変わらないけれど、
毎年天候は違うし、育ち方も違う。
作物を育て続ける、この営みを大切にしたい。
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