ハナムスビ オフィシャルブログ

お豆のレストランをはじめに、こころ・からだの健康を提案していきます。愉しいこと、気持ちいいこと、嬉しいことを健康から!

はたらきかけ

ふ~~~~

冬がすぎ、あの薪割り1000本ノックがようやく終わったと思ったら、
今だ!とばかりに野菜の種まきが始まり、
ぎりぎりで田んぼが借りられることになって、
滑り込むように育苗を開始して、
呼吸する暇もなく田植えを終えたのが先週の火曜日。

田んぼに気を取られていると畑がどうにもならなくなる。
トマトは脇芽をいつの間にかグイグイ伸ばしているし、
草刈りを一巡したと思っていても、
最初に刈ったところは既にやりたい放題、、、

手に負えない、
っていうのは避けたい。
家族フル稼働で、雑草はまあ仕方ないとして、
まいた種は責任持てている。
みな、心地さそうに育っている。
生き物はバイブレーション、見て感じれば分かるもの。

田植えが終わり、やっとこさ畑に集中できるかなと思い、
ふ~~~~っと一息つくや否や、
田んぼの4分の1にグイグイひょろ長い葉を伸ばしている集団を発見!

ひえ~~~!

緊急発動が下された。

心の準備はしていたものの、
その量に圧倒。

聞くところによると、
前年、持ち主は病気がちで田んぼに手が回らず
ヒエをたくさん生やしていたとのこと。
ヒエは次年の子孫のため、種子を思う存分ばらまいたのだろう。
田んぼでよく声をかけてくれるおばさんも
「これはすごいね!」と嬉々として話してくれる。

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さて、どうする?

第二ラウンドのゴングが大きくなり響く。

相変わらずの星の下。
難題が立ちあがればこちらも嬉々として対応するのみ。

全てはトレーニング。
身体をフルに使い、脳みそを柔軟にして、
次、何か似たようなシチュエーションに出くわしたら、
今回乗り越えた経験、身体の使い、強くなった筋力、
持久力、弾性、脳の回転、発想を駆使して、
十分な対応ができる。

それが余裕につながるのよ。

そう、トレーニング。
日々、瞬間瞬間がトレーニング。
特にこういう生活をしていると、
身体を鍛え、心を育んてくれるような出来事が山のようにやってくる。

それを「また~~~?」と憤るか、
「よっしゃ、進化するための糧だ」と嬉々とするかで
全く違う人生を進むことになる。

そう、だから一見ネガティブな出来事が起ころうとも、
全てはトレーニングだと分かっていれば、それが花となり、
何年後かの果実となるんだ。

ヒエ群生。

周りの田んぼでは当然見当たらず。
除草剤がしっかり効いている。
田植えと同時にドバっと播く。

これの意味するところを探ると、
ヒエなどの田んぼに生える草は最初の除草が一番肝心だということ。
小さいうちにどれだけ抑えられるか。

僕らはどうするかというと、
今のタイミングでひたすら抜くしかない!
あたりまえです。

昔はそれこそ手でジャバジャバ土の表面を掻いて、
草を水に浮かしていたみたい。
除草剤の前は田車といって
稲の間通すと鉤爪がたくさんついた車輪がぐるぐる回って、
土を掻きまわし、草を浮かせるというものを使っていた。

有機農家とかではいまだに現役で使われている。

ただ、デメリットもそれなりにある。
・重い
・何度も往復しなければならない
・縦の稲間が除草できても、横の稲間がどうしても残ってしまう

メリットは多少根が張っていてもガリガリ行けるところ。

今、根が浅い状況ならば、表面を擦るようなもので対応できる。

去年は熊手を使ったけれど、
これは隙があり過ぎて、これだけ密生しているときは効力が落ちますね。
デッキブラシという手もあるけれど、
身体が前傾してしまうのと、
前後の動きだけなので横をやるときなどは持ち変えないといけない。
楽に、体力のロスをなるべく減らしたい。

そこで編み出したのが、これ。

ちょうどほうきとして使うには古くてしなりがなく、
どうにもならなかったけれど、
ヒエの群生を見て脳みそに電球が💡ピカッとライトニングしました。

ほうきの先を平らにカットして、
幅を25センチに。
これは今回植えた稲と稲のあいだがちょうどこれくらい。

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四列くらいを縦横、多少稲を掻いても大丈夫。
毎朝3時間くらいバシャバシャやっている。
これ、成績かなりいいです。
90%は取れますね。

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丁寧にやるので時間はかかるけれど、
最初が肝心。
大きくなったときには労力が三倍、四倍と取られていく。
無理してもここで時間かける、、、
しかないw

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全てはトレーニング。

姿勢を良くして、泥の中を一歩一歩。
バランス感覚と足指の筋肉が鍛えられる。
同時にあるもので道具を生み出すという発想は、
思考の枠を広げてくれる。

生き物と関わる。

自分の可能性や身体感覚、思考能力が増す、
つまり共進化することなんだけど、
それだけではない。

はたらきかける。
という行為がヒト特有なんだろうね、ある。

ハナムスビの米、野菜、生産物、ソバ、、、
はたらきかけ、がある。

子どもたち、これから生まれ来る子、僕らの先祖、
全ての関わりに幸福を、感謝を。
そして良縁に恵まれるように。

今年は友人三人に子どもが産まれる。
(まだいるかもしれないけど)
その子らの離乳食に食べてもらいたい。

そういうお米になるようにはたらきかけ。

さあ、明日も早い。

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ふるさと

先日、愛知県の知多半島にいる祖母の家に行きました。
半島の先っぽで、海まで歩いて5分という立地です。

浮き輪を抱えて浜まで行き、一日海で遊んで
水着のまま祖母宅に帰ってお風呂に入り
縁側でスイカを食べて
祖母がつくる夕食、煮魚や赤味噌のおみそ汁が美味しくて
日焼けで肩がヒリヒリすると言って笑いあって・・・
小さいころの夏休みの思い出。

時は流れても、みんな年を重ねても、祖母の家は変わらない。
もちろん実際は変わっているのだけど、
その雰囲気や存在感は私にとっては当時のままなのです。

あと数年で米寿の祖母が元気でいてくれることが一番ありがたい。
一人暮らしで何でも自分でこなし、ご近所の方と支え合って暮らす祖母。
今年ひ孫は9人になる予定。
私と弟、いとこ達で夏休みに祖母宅で集まったように
また子供たちの声が響く家になるといい。

私には幸い、「ふるさと」と呼べる場所がある。
故郷という意味では、
今後は神奈川に住む両親の家がそうなのかもしれないけれど、
なんとなく「ふるさと」は「田舎」のイメージ。
(我が家の場合は移住したため、
 私たちは田舎、親が都会に住むという珍しい構図になった。)

東京で子育てしている友達のことを考えると、
私たち世代の子どもにとっての祖父母は都会在住である場合が多い。

ふるさと。

故郷、古里…やっぱりちょっと違う。
「ふるさと」

自然があって、時間がゆるゆるとしていて、
普段できない経験ができて、のんびりして、ほっとできる場…
ノスタルジー、郷愁。

進学や就職で地方から都会へ、という流れがずっとあって、
親世代も都会に住み続けていると、
今私たちが「ふるさと」といって思い浮かべるものと
ひとつ世代が若い人たちが感じるものは違っていくのかもしれない。

伊那谷に住んで5か月経った。
祖母の家で自然と子どもの頃のことが思い出され、
今後ハナムスビがやっていきたいことを重ねていくと

ハナムスビの場が
ふるさとを持たない人たちのふるさとになること

というイメージが強くなってきた。

忙しい生活を離れ、こころとからだを休めたり
雄大な自然の中で子どもたち(大人も)にさまざまな体験をしてもらったり
地の風習や食べ物を大切にすることを学んだり
土に触れることでヒトが本来持つ力を取り戻したり

元気になれる場
しなやかさを取り戻す場

ハナムスビは、そうなりたいと思う。
誰もが帰れる、こころの「ふるさと」

思い返せばハナムスビが始まるもっと前、
カズさんが「村づくり妄想委員会」を立ちあげたことがある。
循環と思いやりと助け合いがかなう村。
障害を持つ人も、お年寄りも、子どもも、みんなが個性と能力を発揮できる村。

「村」までいかなくても、
まずはそんな場をつくりたいなぁと思うのです。

不動前のハナムスビで出会った方々に
また伊那谷というフィールドで再会し、笑顔になってもらえるように。
少しずつ進んで行きたいと思います。



忘れモノを取りに行く

僕らヒトは小さいけれど、
生きている証しとして、ヒト、世界、地球のことを想い、行動し、
それらを侵さない限りで幸福を追求していきたい。

ハナムスビは
幸福=ホリスティックな健康
という図式がある。

ココロ、カラダ
ワタシ、アナタ
環境、自然、、、

自分と、それを取り巻くヒト、環境が健康であってこそ、
ホリスティックな健康で、
それが幸福なんだ、今の時代に必要なことなんだ、
ということがベースに今の動きがある。

さて僕らは、
僕らの幸福、あるいは娘が大人になったときの幸福を考え伊那谷へ来た。

忘れモノを取り返すために。

311という現象が、
よりそのことを鮮明に、痛烈に語りかけ、警鐘を鳴らした。

僕らは次の時代へ、より良いステップをするために、
忘れモノを取りにいかなければならない。

忘れモノ

それは僕ら人類は土、太陽、水が育んでくれているモノに囲まれて、
それらを内に取り込むことで生きているということ。

単純な答え。
科学の進歩や資本の捉え方がどうしても、
そんな純然たる、ごくごく当たり前の自然のシステムに目隠しをする。

それを否定することは簡単だけど、
ハナムスビはその立ち位置を取らない。
(縄文に戻れとか、懐古趣味的な)

より良い未來への歩み方、
これを考えていきたい。

そのためには何よりも、
自分で食べ物を生産できる技術、
ひいては衣食住をある程度自分たちでまかなえる知恵、
を学んでいき、細胞に再びインプットさせることが、
新たな未来への一歩になる。
いや、それでないと脆弱な生き物になってしまう。

これらがベースにあってこその科学であってほしいし、
資本主義であってほしい。

忘れモノ
それは記憶の彼方の引き出しをもう一度開けるだけで、
そんなに難しいことではないと思う。

もてなしソバ 始まり

伊那谷はソバの名産地。

ならば、ということでソバ打ちを先週から開始!

45分で打てれば上出来だという。

用意と茹でる時間を合わせれば小一時間で食すことができる。

チラっと寄ってくれた客人に、
ウチに泊まってくれる各人に、
ササっとふるまいたい。

「ちと待ってなよ~ソバ打つで~」

これをやりたい。

もてなしソバ
始めます。

そう、いい出会いがありました。
駒ヶ根市の隣、飯島町にある、
いいじま手打ち蕎麦の会
という会を紹介していただき、
そのご縁で入会する運びに!

たくさんの名人が一同に集まるから、
とにかく学びが多い!

はい、やります!

「このまま熱心にやっていれば、年末の年越しそばを打てるようになる」
と聞いたから、
そのままスポッと目標となった。

年越しそばを配りたい。
年末の動きはまだ見えないけれど、一緒にいる人、
近くにいる人、
たまたま近くをすれ違う人、
そんな人に挨拶代わりに。

まずは触ることから!

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こんなセットを貸していただける!初心者に優しい~

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菊ねり、その後。

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丸、あるいは四角にのすのがホント難しい!

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この包丁の大きさ!切るときのピンと張りつめた心持ち、大切にしたい。

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できあがり。見た目はオ~ケ~だけど、こりゃ先が長い。

さあ、年越しそばに向けて特訓じゃ!

どう変化しよう?ストレスと進化~

どう変化しよう?ストレスと進化~

まずはこの記事を読んでください。
http://ja.allreadable.com/c07889BL

この方は、去年こちらの本を大ブレークさせた心理学者の美人センセ。
僕も読ませていただきました。
まあ、最近の心理学って人間の行動をデータとして読み取り、
ひたすら統計をとる科学なんだなと感心しました。

ユングが好きな僕としては、夢がないように感じますが、
逆にユングが好きだ、なんていうと飛んでる系に思われてしまうフシもあるので、
統計やアルゴリズムに偏っていくのは当然なんでしょうね。
この分野はミクロ経済学と一つになっていくのでしょう。

そんな話ではないです。
ストレスの話しです。

友人も先日、満員電車でのストレスについて書いていましたが、
じゃあ、いったいストレスって何だろう?
というところにはまり込んでいたところ、この記事を読みました。

何だ、当たり前じゃん、一周して戻ってきたの?と。
でも、科学的裏付けを持って戻ってきたので、フムフムフムと。
簡単に言うと、ストレスに対して嫌だと感じて避けようとするのか、
それに寄り添って前向きに生きるのか、で相当の差があるということです。

ここにもう一つの人種を加えよう。
「全くストレスを感じない人」という特異的なヒトがいます。
この人種に関しては、みんなあこがれですね~

これにも二種類が存在すると思います。
感受性はあるけれど感じないのか、全くもって鈍感なのか(男性に多いかな)。
これ、後者だと何かの疾患になりそうなとき前もって防ぐことができず、
致命的な状態になって初めて気づくことになりがちなので、
あながち良い、とは言い切れませんね。
もっとカラダの感じを感じとれる方が豊かな生き方ができると思います。

さてさて、今日はストレスを感じる人について考えていきましょう。
この記事では、認知、すなわちかけるメガネを変えることで
その後の人生に大きく影響が出るということが書かれています。
ストレスは健康に悪い、と思い込んでいる人はアメリカでは死因の第15位に!!!
どうやってデータを採ったのか気になるとこですが。

一つの出来事(ストレス)を徹底排除するのではなく、
ストレス反応を自分にとって有益なものと考えられるかどうか、、、

そう言われてもね。

進化論から考えてみたい。
そもそも、あらゆる生物にとって成長にネガティブなこと、
すなわちストレスとは適者生存から考えて、
いかにそのストレスを乗り越えて対応・変化(進化)するかにかかっています。
それを克服できなければ種共々滅んでしまう。

僕は庭の雑草取りに追われるとき、
その、禅的な時空間を体験していると、ふと、この草草の進化に驚嘆する。
彼らは明らかに、人に駆逐されること(ストレス)に対して対応・変化している!

というのも散々抜かれてきたからなのか、
多くの草たちは根と茎のちょうど境目を弱くして、
引き抜かれるとき根が残るようにブチ切れる。
残ればまた生えてくるのだから!

ああ、何という逞しさ。
あるいは、成長を加速的に早めた種もいる。
あれくらいの大きさならばしばらく放っておこう、、、
そんな思いもつかの間、あっという間に種子を付けてしまう!
これもやられる前に実になってしまう、という対応・変化の結果だと思います。

あるいは、豆類などは鳥や動物にせっかく付けた種を消化させまいと、
皮の部分に強い不消化物質を取り込み、食べられてもそのまま糞として出させ、
かつ種を遠くに運ばせようと画策した。

そんな耐性を持った豆類も、サルにはまんまと食べられてしまう、、、
サルも最初はその毒性にお腹下したり、手こずっていたのかもしれない。
けれどもいつしかそのストレスに対応・変化して、
消化酵素を手に入れ、食べられるようになった!
人はゆでて食べるしね。

あらゆる生物にとっての環境ストレス、
紫外線、温暖、暴風雨、寒冷、乾燥、湿気、などは内包して、克服する命題がある。

これが生物として、当たり前の出来事だ。
だからストレスは感じても、
成長するため身体を強くさせる出来事だと思うのが良いかもしれない、、、
少なくとも生物として。

ところが、ヒト。
困ったことにヒト。

そう簡単にいかないのがヒト。

自分たちでつくり上げてしまっている人工ストレスがこれまた厄介なのだ。

車や電車、あらゆる機会の騒音、、、
排気ガス、水道水汚染、農薬、化学薬品、食品添加物、、、
(ビルの林立による)視野狭窄、夜間の明かり、ネオン、パソコンの光、、、
ずっと座る姿勢、睡眠不足、、、
(こうしないといけませんよ!という呪縛)文化、教育、法律、、、

ヒトは他の生物と同じように、
自然環境による身体的なストレス耐性は身に付けてきた。
それが文明という名のもと、
より種としてその耐性を外的に身に付けるようになった。

例えばウイルスへの耐性だ。
かつて不治の病だった天然痘。
身体的に耐性を自然治癒力として持っている人しか生きられなかったのだけれども、
種痘ワクチンを接種するという革命的な方法で克服した。
これは個々の持っているチカラを外的な作用させて乗り越えるという、
とてつもない革命。
もちろん下水道の設備という発見も相乗効果として。

ここらあたりから(産業革命かな、時期が前後するかもだけど)、
外的に身に付けた耐性と、さらなるストレスとの戦いの幕が上がった。
すなわち人工ストレスだ。

というのも、ウイルスに耐性をつければ、相手も相手で、
その耐性の耐性を対応・変化で身に付けてくる。
ヒトはその耐性をつくる、、、
抗生物質、インフルエンザがいい例だね。
埒が明かない。

あるいは便利になるというストレス軽減が、逆に人工ストレスを生んでいる。

車は遠くまで重い荷物を運んで歩く、というストレスを完全に克服した。
ところが排気ガスをまき散らし、速く速くという時間の焦りを生んでいる。
パソコンは情報処理を格段に速くしたけれど、
ずっと座りぱなしで、煌々と光るバックライトに目がやられている、、、
事ここに関してはメリットの方が多い気がするけれど、
いずれにしても人工ストレスがあるには違いない。

そもそもヒトの身体は立って歩くように設計されてきた。
それがなされていなければ、
循環は滞り、身体はストレスを感じているに違いない。
座るのは楽だけれども、
立って歩いたうえでの座るがあるだけで、
座るがありきでは設計されていない。
これもストレス。

時間が速くなっていることもストレスだろう。
これも人間が作り出したもの。
時は金なり~

この言葉に集約されるけれど、
この速さは不自然極まりない。

そもそも自然の時間は、
まず、朝太陽が出て、沈んで夜になるという時間がある。
春夏秋冬という1年の時間。
24節季、72候という、だいたい15日、5日の季節感という時間。
あるいは月の時間。

さまざまな時を感じさせる変化があって、
その時間に沿って生きるのが生物が身に付けてきたありよう
(これはストレス耐性とかとちがって生物にもともと備わった、
神との共振、あるいは自然な在り方)で、
そもそも、そんな大きなな潮流に逆らって生きているのだから、
大きなストレスになるに違いない。

人工ストレスはどう対処すべきか?

もちろんケリー先生が言うように前向きに受け入れて、
対応・変化、つまり進化していくのが筋なのかもしれない。

受け入れると言っても、オーガニックな生活を送ったり、
気を付ける方法は多少ある。

人工とあるように、自然の法則に沿って生きることで、
なるべく避けるという方法もある。
僕らは伊那谷へ行って、そのような生活を送ることになる。

いずれにせよ、環境的な、
生物として生きるのならば当たり前にあるストレスと、
人間が文明という名のもと生み出した人工ストレスという
余剰ストレスがあることを認識しておこう。

文化、教育、法律などの呪縛ストレスは、
どこにいても精神的に解放されることが重要だから、
自分の心から感じたこと、魂が叫んでいることに従順になるしかない!だね、
これはさっそくできる!

そして、人間関係、、、
このストレスが一番厄介で、正直難しい問題だ。
仕事は大好きでずっとやっていきたいのだけれども、
どうしようもない上司が毎日変なことを言ってくる、、、
続けるためにはどうしたらいいのか?
とてつもないストレスだ。

昔習ったカウンセリングでは、
相手と過去は変えられないのだから自分が変わるしかないと、
自分が対応を変える方向でもっていこうとするのだけれども、
事の根は深い。

自分が変わって聖人君子になれるのならば、
ハハハハハと笑っていられるけれど、
完璧にはなれないし、増長する相手がいる限り、
なかなかストレスから解放されることは少ない。
カラオケ、飲酒とかは対処療法でしかないので、根本解決ではない。

さてさて、困ったことだ。

哲学的になるね。
あるいは科学的にやるならば、
例えば、
人助けをすると実は何倍も自分に営利となって帰ってくることが証明されたとか、、、
あ~ヤダヤダ。

元をただせば、虚栄心、承認欲求、上昇志向、成功思考
(成功ってそもそも定義が曖昧だよね。僕なんか死ぬ瞬間にしかわからないと思うけど)、
嫉妬、やきもちなど、
ヒトの持っているものが強くですぎることが、
相手に不快を与えてストレスを与えてしまうし、
自分もそのモチベーションだからストレスになってしまう。

タオ(老子・荘子)ではそこを徹底的に取り除くことこそ、
自然の法則に従い、
生命という単位で生きること=幸福になるんだよと説く。

どうだろう、全員ができる訳じゃないから、これも難しいね。

モデリングというものがある。
そんな強ストレス環境でも上手く立ち回っている貴重なヒトがいる。
このヒトにどんなモチベーションなのか詳しく観察、聞きだして、
そのマネをするというものだ。
これは一つ参考になるかもしれない。

先日整体のお客さまで、ひたすら上司に恵まれているといっている方がいた。
このヒトは運命的にラッキーだったこともあるだろうけれど、
そもそもの性格によるものだということは話していて分かる。

常々言うのは「ワタシ、能天気ですから」と。
最初の方の話に戻るけれども、きっと感受性は高いけれど、
それを不快と感じない生き方をしているタイプの人。
受け流す、というのだろうか。

だとしたらこれもストレス対処の一つのメソッド(方法)なのかもしれない。
どなたかの本だったかもしれないけれど、鈍感力というものがあった。
それはこういうことなのだろう。
いかに情報、人工ストレス、人間関係ストレスにさらされつつ、
重要なところだけ抑えて、あとはユルユルと漂うように生きる。
能天気、ほどほど、鈍感力、、、同じことを言っている。

そうだ、ここに共通していることは、
ヒトが何を言おうと、やっていようと気にしない、ここなのかな。
誰かがあれを言っていた、ああいうふうにすれば成功する、、、
あまり見すぎると、ツボにはまっていく。
私がここにある。
条件だね。

やはり人間関係は、どうしても決定打がなく、
抽象的なコトバに落とし込んでいくことになる。

後はよく言われることだけど、自分のしたいことができているか?は、
あらゆるストレスを駆逐することは科学的であろうが何だろうが自明のことだから、
ここに還っていくことが重要なのかもしれない、、、

、、、

さあ、生命を存分に味わおう!


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