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ハナムスビ オフィシャルブログ

豆料理のレストランを経て、ここ伊那谷で生活を一からスタート 自然の循環の輪に入れさせてもらえるうよう

人類はどこへいくのか サティシュ・クマール

There is no way to peace. Peace is the way.

平和への道などはありません。平和が道なのです。
                      ~サティシュ・クマール

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ジャイナ教の信徒であった筆者がガンディー主義者のアシュラム(修行の場)に行き、
ガンディーの教えを学んだ影響がこの一文に大きく表れている。

ガンディーの有名な一文

「あなたがこの世界で見たいと思う変化に、あなた自身がなりなさい。」

この二人の言葉に背筋がピンとはる。

世界を変えようと思っても、
人を変えようと思っても、
自分から切り離した何かに求めた時点で分裂し、時に間違いを引き起こす。

自分という小宇宙が宇宙そのもの。
肉体から細胞へ、細胞から精神へ。
この広大な宇宙空間が秩序だっているのだろうか?


この本は、
ジャイナ教徒であり、非暴力というガンディーの教えを受け継いだ僧侶であり、
真だけでは尖ってしまう、美しさも人の崇高な感性だと謳う詩人であり、
巨大になり過ぎた経済圏を小さくすること(地域に還元する)が貧富の格差、環境問題を解決に結びつくと唱える平和主義者である著者の理論と実践が書かれている。

現社会の問題点、地球と自分、人と人との関係性、
そして心の在り方、、、

その実践の方法論として筆者は、
土(soil)、魂(soul)、社会(society)というワードを軸に、
三つのSを統合すること、三位一体こそが人類の幸福な未来に繋がるという。

僕らはどこへ行こうとしているのだろうか?

サティシュ・クマールの立ち位置が素晴らしい。
僕はこの本のP41~P42に書かれている真理についての捉え方を目にして、
ああ、この人は真に追い求めてきたんだなと尊敬する。

~全体論的(ホリスティック)で、相互関連的な、そして崇高な三位一体は、唯一の生命観というよりは、むしろいくつかあるうちの、ある一つの生命観です。言葉による思想の定式化にはどんなものであれ、限界があります。究極の、あるいは真理である定式化などありえないのです。
 私たちが頭の中で、知的な確信に達し、真理について何らかの理論や信念にたどり着いたとき、「ああ、私は、何が真理なのかわかっている。~どうして世界は、私の知っている真理を受け入れ、したがわないのだろう?」
 そこで私たちは、「私たちの」真理へと、人々を改心させる必要があると感じるようになります。それが問題の始まりであり、戦争や闘争の始まりなのです。すべてを包む霊的なアプローチが終わり、狭い排他性が登場するのです。
 知的理論や過去の信条から得た真理は、私たちが再検討し、新しい風を吹き込まねばならない「一つの」真理なのです。~


現代に生きる僕らは世界共通の神話を持っていない。
9合目まで登らせてくれる多くのヒントがあるだけで、その、残りの一合をどう登るか、
ここにこの世に生を受けた僕らの最大の歓びがある。
究極の真理にたどり着けるかが問題ではなく、
この最後の一合目を登ろうと決心するかどうかが岐路で、
神は、独り頂きを目指す、その歩みにそっと微笑んでくれるだけなんだと感じいる。

サティシュ・クマールはその残りの一合を登る理論と実践を
三つのS、土(soil)、魂(soul)、社会(society)に求めた。

自然からあまりにも遠ざかってしまった人が、いかに自然と調和を取り戻すか?

万物のあらゆる存在の上位に位置するとおごって成長してしまった人の、
その反省をどこに求めていくのか?

筆者は、いや、多くの人が気づいているように土、大地との接触に求めている。

大地は草木を育み、その草木はあらゆる生物に、何の見返りもなく与えている。
誰かが独占するでなく、慈悲、、、

自然は無条件の愛に満ちている。

そこに僕らは学ぶ必要がある。
自然について学ぶでなく、自然から学ぶ。

~私たちが、謙虚さと感謝を実践するとき、自然から多くを学ぶことができます。しかし人間中心の近代文明の中にいる私たちは、自然について学ぶのです。自然「から」学ぶことと、自然に「ついて」学ぶこととの間には大きな隔たりがあります。自然に「ついて」学ぶとき、自然は学習の対象になり、自然の開発を促すことになります。~しかし、自然「から」学ぶとき、自然との親密な関係を築くことになります。ですから、そこには自然のプロセスの神秘への、無条件の謙虚さと畏敬とがあるのです~ P30

土に触れることは、
そもそもの大きな問題である、
人が万物の霊長と勘違いしている科学的な自然の捉え方をシフトさせる唯一の方法。

筆者は、膨大な余剰エネルギーが人間にあり、
その人間エネルギーを活用しない限り、環境問題、健康問題、経済問題、、、
多くの問題は解決しないという。

然り。

余剰エネルギーは結果として糖尿病などの疾患に現れる。
食べ過ぎなければ、得たエネルギーを動いて消費すれば糖尿病にならないのは明白なのに。

過余剰な人間エネルギー。

あらゆる問題の本質はこれに尽きる。

ガンディーが晩年、糸をつむぐ手仕事を大切にし、
自然からひたすら搾取する現代の経済の構造に異議を唱え、
身体、手を動かして生産することの重要性を説き、実践していたことは、
かなり先の人類への危機を予見していたように感じる。

人間エネルギーをきちんと消費するために個々が生産する。
これを筆者は手仕事が大切と言っている。

土に触れることは、身体を動かし血を通わせる。
細菌をはじめ、多くの生物と触れ、共に成長することができる。
慈悲を学ぶことが霊的な成長になる。

ここでは多くを書かないけれど、
Small is beautiful.
この視点から筆者は地域社会のつながり、消費活動を説いている。

輸送コストを考えると域内で交換に近い形で生産したものを消費するのが一番シンプルだ。
人との関係性も顔と名前が一致するような人数で作るのがいい。

ただ、例えば食品で言うと、
オーガニックで生産している人が周囲にほとんどいない環境ではなかなか交換的な消費が難しいのも現状だ。

そこはコツコツと賛同してくれる人を増やすしかないので、すぐにとはいかない。

どうしても安いことが一番となってしまうのは、
生活がかかっているからだと思うけど、
大切なのは何か?
をもう一度見直すことが今、必要なんだと思う。

この生活をはじめて3年。
まだまだ学ぶことは多いけれど、一つだけ言えることがある。

それは、幸福の尺度が大きく変わったこと。

身体を使って、生産し、それをいただく。
それが身体を創っていく。

家族と一緒に土、自然に触れ、
共に学ぶ。

経験であれ、食べ物であれ、
仕事であれ、遊びであれ、
蓄積されていく記憶がその人をつかさどるのだから、
日々、質のいいものにしたい。

そんなに大きくなくていい。

世界を見て、自分をコツコツ変える。
なりたい、いきたいところを定め、その変化に自分自身がなる。

おススメの本です。


あなたはどこへ行きたい?