3回食になって食べられるものが増えたり、
ハイハイ(ずりばい)でいつの間にか廊下に出ていたり、
「バイバイ」と言うと手を振ってくれるようになったり、
成長を感じさせられる今日この頃。
でも『9ヶ月』
は、私にとって少し特別で、哀しい響きを持っている。
長女イオリが9ヶ月の頃に、あの大震災があったから。
外出先のビルの8階でぐらんぐらんと床が揺れ、棚から物が飛んでくる中
唯一頭を守れそうだった施術ベッドの下にもぐり、
イオリを抱っこして「大丈夫」と声をかけながらも
このまま一緒に死んじゃうのかもしれないと思った。
きょとんとした目で私を見上げるイオリの顔を今でも思い出せる。
その後、余震や原発の不安で閉じこもりがちな毎日を過ごし、
被災された方のことを思っては胸がしめつけられたあの頃。
スーパーからは水や食料品がなくなり、
静かな奪い合いに悲しみを感じたあの頃。
それまでの価値観や確かだと信じていたことが揺らいだあの頃。
『いのち』の重みをこれまでにないくらい感じたあの頃。
9ヶ月の娘の存在に、どれだけ助けられたか。
今、9ヶ月の息子を見ていて、
平穏で、健やかで、心から笑えることがありがたい。
伊那谷に移住した直接の理由ではないものの、
やはりあの大きな出来事をきっかけにハナムスビは生まれたし、
今の生活、自分たちの手や身体を動かして「生きるために活動する」生活がある。
お米がたくさん収穫できて。
芋、かぼちゃなどの野菜が倉庫に常備されていて。
畑には葉もの野菜や冬の根菜類が埋まっている。
もちろんお豆さんも植えてあるし、キッチンにはストックがある。
近くには水が湧き、家には火をおこせる場がある。
何かと声をかけてくれて、野菜や果物をわけてくれるご近所の方もいる。
薪に使えそうな木を、あちこちの方が庭にどんどん置いていってくれる。
目に見える、もしくは目に見えない確かさを感じられる生活。
そして何かあれば「あの人は困ってないかな?」と自然と思える暮らし。
本当に忙しくて、やること満載で、0歳児がいるとは思えない日々だけど、
娘の9ヶ月と息子の9ヶ月では、心の持ちようが全然違う。
偶然だけど、今月から始めたボランティア先で被災された方に出会った。
「いのちだけは助かったけどね。何もかも、何もかも流されてしまったの」
6年7ヶ月という歳月を感じさせない言い方だった。
大きな災害は起きないでほしい。
でも起きたときのことを想像しながら暮らすことも必要。
自然の美しさを見つめながら、そう思う。

冠雪はまだ見られない。
空気が澄んでいる。

「ピーマンとししとうは霜にあたると一発でダメよ!」(今週氷点下になる予報)
お隣の農家さんに昨日教えてもらい、実と葉を採る。
葉も食べられるそうで、試したらほろ苦く美味しかった!

里芋は土の中で保存するといいと知り、
イオリと「落とし穴つくろ~ウシシシ」と言いながら掘って埋めた。
奥にあるのは小松菜、ほうれん草。

さつまいも掘り~♪干しイモもつくろう。

小豆、パンダ豆、うずら豆。かわいい。