地球全体が一つの生命体と捉えるならば、
ホメオスタシス(生命恒常のチカラ)が地球を永らえるため、
ヒトという害を排除する日も遠くない。
それは過去何度かあったように、、、
そのエマージェンシーに気付くのか、見てみぬふりをするのか。
今、人間が突きつけられているのは目先の小さな問題ではなく、
種の存亡という、とてつもなく大きな、
進化から見ると絶大なる敗北の一歩手前にあるということなのだ。
昨日のワークショップで思い知らされた。
森が荒れていく、、、
杜の園芸の矢野 智徳さんは
軽井沢、八ヶ岳を観察してきて、
ここ2,30年で大きく変化しているのを目の当たりにした。
森の下草が高くなり藪化し、
流れる小川が泥水を排出しているという。
全ては人間の開発による結果だ。
建築物、道路、水路、
全てコンクリートで自分たちの都合で開発した結果、
土がしまりすぎ、大地は呼吸できなくなり、
しまり過ぎた故、水が通らなくなった。
木々は土がしまっているがため大地から水を吸い上げる力が弱り、
無理に根を張らせ、無理に枝を這わせ、
そして疲弊していく。
一見、森の中では木々が元気よく共存しているように見えるが、
矢野さんの見立てで一本一本観ていくと、
枝枯れしているところ、
葉が重くてヒイヒイ言っているところなどがたくさんあり、
決して森は健康だといえない。
ワークショップが開催された八ヶ岳のふもと、
原村でさえこの状況なのだから、
その下流域はさもありなん。
いや、上流だけに問題は大きい。
この状況は見えているのだ。
しかし人間は開発をやめない。
川の流れを押さえつけ、
土石流を押さえつけ、
波を押さえつけ、
コンクリートを地中深く埋めれば埋めるほどに土は固くなっていき、
空気が追い出され、水が地中に流れなくなり、
好気性の微生物がいなくなり、土壌が悪質化していく。
これは森に限ったことではない。
病気に対する処置も同じこと。
いくらウィルスを抑え込んでも、
次なる耐性を付けたウィルスが発生し、
それを抑え込もうとするとさらなる、、、
いたちごっこ。
経済も一緒。
僕らは事の本質を見ようとせずに、
表層の対処で良くなったことにする。
事態は奥の方でなんとなく悪化しているのが見えているのだけれども、
それが遠くにあると思っているからブレーキは踏まない。
アクセルを開けることしか考えつかないから、、、
森の再生。
今、事を起こせばそれは成る。
ポイントは目に見えぬところ、
森で言うならば土中の風通し、水通し。
血管にプラークができて詰まり淀んでいくのと一緒で、
そこの道筋を通り良くすればいい。
例えば昨日のワークショップでは、
駐車場を作るために砂利をまいて固く締まったところと、
森の境に溝を掘り、水と空気の流れを作る。
これだけで(これは今後どうなったか見る必要があるけれど)
森側の木々(立ち枯れや、弱った木が多い)が再生するという。
あるいは藪化したところでも、
全部下草を切ってしまうのでなく、
風が通るように手を加えれば良いとのこと。
地球という彫刻は風と雨、水の流れが作ってきたのだから、
その地形、地質、土壌を見抜き、
空気の流れ(風)、水の流れに注意しながら、
淀みを取り除き、流れを促してやればいい。
これはヒトの身体にも当てはまる。
血液リンパの流れ
筋連動の流れ
腸の流れ
神経・気の流れ
思考の流れ
全てはつまり、よどみが不調を作るから、
流れを促すことで改善する。
経済もそうだろう。
ゴリゴリに抑えつけたり、
表層で対処して治った気にさせたり、
先送りにしていたものが、
もう目の前に来ているんだ。
それに気付き、
今までのように対処するのではなく、
全く違った観点から、
自然の声を丁寧に聞き、そのあるがままの姿に手心を加える。
少しずつ。
矢野さんの言葉は自然と向き合って出てきたものだけに、
シンプルで実践向きだ。
まずは僕らの場をより良くするために、
矢野さんからいただいたヒントをあれこれ試してみる。
家の周りの水の流れ、風の流れ。
土中の環境。
自然の観察眼をより深くして。
生活環境から大自然
自分の身体から大自然
経済も健康もあらゆるすべてのもの、ことを
大自然というフィルターを通して見ることが今求められているんだと
矢野さんの言葉を聞いて痛切したしだいです。
実践あるのみ!