「神様、どうか旱魃にして、あいつら人間に飢えの苦しみを与えてください!」
宮沢賢治が現代に生きていたら小麦の側に立って、神様との対話で人間の食に対する放漫な姿勢を痛烈に批判していたに違いない。
9千年前、チグリス・ユーフラテス川あたりで農が始まったとされる。麦だ。タンパク質と炭水化物が一緒に摂れることは人体にとって好都合だった。かつ、育てやすかった、、、
麦は農という、人類にとって二足歩行になったくらいのインパクトがある出来事の最初のきっかけなのだ。農は貯蔵をうみ、貯蔵は余分な人を食わすことができ、出生率が上がり、道具を作る人が専門化され、集権型の政治が生まれ、哲学者を食わすことができ、科学が発達した。移住から定住になった。もちろんその対極に兵士を養うことができることで戦争が増えた(狩猟採取では首長ですら狩りに行かなきゃならないから戦争している暇なし!)。
つまり、麦は文明のきっかけなのだ!!!良し悪しあるにせよ、これはだれも否定できまい。
それをい・と・も簡単に、悪者にされている!
おおむねこちら、人間が悪いのにもかかわらず、、、
最近はやっている小麦悪論、グルテンフリーをみていると、やはり健康論こそ不健全なんじゃないかと感じるばかり。
健康論もボチボチ行き詰っているんじゃないかと少し前に書きました。
こちら
善悪論。
こやつがいけないね。
そもそも全てのことはBetter than があるだけで、絶対など人間の浅はかな知恵で作り上げたものにあるわけないでしょ。
これをベースにしないと、適当な言説でも悪いのが何かを強く言えば、多くの人はプラシーボに気持ちよく酔ってしまう。
健康論はとくに善悪論で成り立っている。悪者をでっちあげて、強くその言説をガミガミ言えば罠にかかってしまう、、、罠にかけられたいという心理も見え隠れして(プラシーボね。でも実際に信じれば治る、ってのもあるから難しい)発信する側、受け取る側、双方が同じ風向きに乗る。
簡単な例でいうと、善玉菌、悪玉菌。
人間が自力で消化できない、あるいは化学的に合成できない体内で必要な物質を1000種類もの菌類を腸内に住まわせて、消化・合成してもらうというシステム、これが細菌と人間(生物)の何億年という長い年月を経て作り上げた共生関係だ。菌類は人が食べたものを餌として利用している。
その1000種類の菌類は誰かが突出して増えてしまうと全体の関係が崩れてしまうので、腸内フローラという世にも美しい平衡で棲み分けを行っている。
二極あって、どちらかに傾くと酸性、アルカリ性になり、特にアルカリ性になってしまうと腸内で腐敗が進み、身体にさまざまな症状を引き起こしてしまう。このアルカリ性に傾かせてしまう菌群を悪玉菌。酸性にするのが善玉菌と呼んでいる。
ここで問題なのが、菌類は何もしていなければ均衡を保つ、ということ。その均衡を破るのはただ一つ、人間の食べ物なのだ。
つまり、腸内をアルカリ性にしてしまうのは、悪玉菌の存在ではなくて、その人がどういうものを食べたか?にかかってくる。
悪玉菌。
世の中ではこの存在自体が「悪」と捉えられている。これらの菌群でもO157を退治したり、ビタミンを合成したり、人間に有用な働きをして欠かせないものにも拘らず。
これが物事を単純化して、善悪に落とし込んでしまう思考の罠だ。人間の食べ方が悪なはずなのに、悪玉菌という菌群を陥れる。
おいおい、僕らの思考、行動の問題だぜ。
悪玉菌の名を変更して、これまでの汚名に謝罪せよ!!!
最近よく聞くグルテンフリー、小麦悪論も一歩引いてみていく必要があると思う。
前回書いたように、まずは健康って何?を問いたいところ。遺伝子的に、あるいは腸内細菌的に120歳が生命の限界だとされているとしたら、現状は健康に成功していると言えないのか?
そして現代病を問題とするならば進化から見て、食べ過ぎ、消費カロリーの(動くこと)大幅な減少、そして清潔になり過ぎていること、この三つが大きな原因だということ。
食については、工業製品でないこと、その食事療法が地球環境的に持続可能であること。
上記を念頭に入れながらグルテンフリー・小麦悪論の風向きにカウンターを入れたい。
グルテンフリーとは小麦、大麦等に含まれるモチモチしたタンパク質の成分のことをいい、腸内で悪さをするので、それらグルテンが含まれている食べ物(麦類)を排除しようというもの。
セリアック病という、アメリカの人口の1%が罹患している自己免疫疾患が必ず引き合いに出されるので、ここからグルテンフリー論に深く潜ってみる。
セリアック病は小麦などグルテンが含まれるものを食べると、腹痛、慢性的な下痢など様々な症状を引き起こしてしまう病気のこと。罹患した人は麦類を食べなければ発症しない。
これは因果関係からいうと、いかにも麦類が病気の原因と思われるけれど、麦類は症状を引き起こしてしまう誘発物質に過ぎず、その原因ではない。
ここをまずは抑えないと、すぐに罠にかかる。
自己免疫疾患は以前書いたように(こちら)、この本が大きなカギとなる。現代以前は発症が珍しかったのに、ここ最近多くの人が罹患している。
これも進化から追うことが理に適っている。何がこのような疾患を引き起こしているのか?この本で明らかにしていることは、悪者(自己免疫疾患を引き起こしている)が誰かではなく、「いなくなってしまった」がゆえに疾患が生まれたとしていることだ。新しい発想。それまでバランスをとっていた、異物を攻撃してしまう免疫をなだめる役どころ(異物がいないときに、まあまあ大人しくしてなよと制御してくれる)が、除菌や抗生物質などの抗菌薬などによって一掃されてしまったことで、攻撃相手が自分自身になってしまった。
つまり、誰が悪いか?ではなく、いなくなったことの不均衡ゆえ症状がでてきているという。
セリアック病も自己免疫疾患ゆえ、問題の本質は小麦ではなく、その免疫システムの不均衡にある。これは最新の知見なので百パーセント立証されているわけではないのだけれども、少なくとも小麦は本質ではない、ということを言いたい。
もちろん、セリアック病にかかっている人、そして有病、完全に症状が出てなくても、グルテン不耐症になっている人は止めるのがいい。
では、その他多くの人にとってグルテンが悪く作用しているというのはどこなのだろうか?
化学的にどのように悪く作用するかは書かれているものの、それ以上の納得できるものが探せない。グルテン不耐症は不定愁訴(頭痛、精神的な落ち込み、肩こりなど様々な心身に関する不調)をもたらしているとあるけれど、その他の人が小麦悪というほどには主観的すぎるし、断定するほど科学的根拠が見当たらない。
食べ物は何にせよ人体に負の影響をもたらす物質は含まれるもので、一気に多く食べれば、それは量と時間の問題で悪影響だし(塩を大量に一気に食べれば死んでしまうが、普段使う量ならばさして問題ないことと一緒で)、そうでなければ身体の素晴らしい生理システムがそれらを排除してくれる。
本当に問題があるのならば、例によって寿命を比較してみると良い。高カロリーで小麦を主食にしているイタリア、フランス、スペインなどは平均寿命が80歳を超えている。ずっと小麦を食べてきた人達だ。
この人たちが生来、腹痛などの慢性病に悩まされ、それが小麦だったと言うのならば、小麦は真犯人だし、僕らは直ちに小麦から卒業するのがいい。
グルテンフリーについて僕が読んだ限りの本やネットでの情報では、セリアック病などの症状がなく、グルテンフリーをした人の感想の多くが、グルテンフリーにしたら体が軽くなった、調子が良くなったといっている。
この主観に僕は引っかかる。
軽くなったのはグルテン(たんぱく質)でそうなったのか?
あるいは炭水化物でそうなったのか?
グルテンフリーの情報の多くはダイエットとつながる。
むしろ、ダイエット情報と言っていいくらいセットになっている。
前の記事を思い出していただきたい。
そう、アメリカをはじめ多くの人が現代、肥満に悩まされている。そしてその深刻さは僕らが想像している以上のものだということ。
この流れはしばらく続く。
僕も糖質を制限することには賛成だ。飽食の時代、消費カロリーも少ない中、単純に糖質を摂り過ぎ。だから全体として糖質、あるいは食べる量を減らすのは重要なことだと思う。腹八分。ハレの日はたくさん食べることもあるけれど、日々は、ご飯前にお腹が「グ~~~~、キュルキュルキュル」と唸りを上げるくらいがいい。
グルテンに中毒性がある、、、
グルテンフリー論でよく言われているものだ。たしかに米や他の主食に比べてたくさん食べられるし、食べたくなる。米よりも食べやすい。
小麦という中毒性のある食べ物を断つことによって、炭水化物を普段より多く摂らなくなった。炭水化物を少なくすることは、ファスティングや腹八分をしていればよく分かることなのだけど、なにより身体が軽くなり、調子が上がる!
やはりグルテンフリー、小麦悪論は糖質制限がメインではないか。
もちろん何度も言うように、身体に合わなければ止めるのがいい。
減量が成功するのならばそれでいい。
僕が言いたいのは、小麦悪論について。
これまで書いてきたように、論拠とされてきた、グルテンは身体に毒だから悪だ、止めようという一見正当性のある話しよりも、やはり、肥満を含め現代病の原因はお前だ!にグルテンという小さな悪が添加され、見事にグルテンフリーに昇華している。
悪玉菌同様、小麦も人様の思考、行為を棚に上げて簡単に悪玉にされているようだ。
ああ、、、
やはり僕らは誰かを悪者にして自分に正当性を与えるしか精神を保ちえないのだろうか?
さて、グルテンフリーのアイコンはジョコビッチだ。
今や、世界一のテニスプレーヤー(見たことないけどw)。
「ジョコビッチの生まれ変わる食事」
これにグルテンフリーが載っている。ジョコビッチは血液検査でグルテン不耐症だと診断されて大好きな小麦を断つことで試合に勝つことができ、さまざまな症状が取れたと書かれてあるが、どうも軸足は糖質制限(減炭水化物)にあるように読める。ただ、世界一の人が、軽くなった!グルテンが悪いと言えば、やはり!となる。
ここに書かれているように、二週間小麦を断ってみる、というのはいい方法だ。そこで、これまであった不定愁訴が消えるのならば小麦が合っていないのかもしれない。ただ、僕としては先入観がプラシーボ効果を引き出してしまうので、もう二週間は糖質制限食をやって比較してみると良いと思う。
自分の身体に聴けるようになれば健康そのものだよね。
さて、つらつら書いてきたけれど、最近の健康論は不健全そのものだと強く思うばかり。
自らを否定せずに(内省せずに)簡単に誰かを陥れる、、、
見回してみれば、健康に限らず、人間関係、はたまた国と国との関係まで、この思考の枠組みは深くいきわたっている。
不健全さ
人間はこの思考の限界に気付き、陥れるべき敵は簡単に悪者をでっちあげる、その心にあり、ボチボチ自分らの内なる悪に闘いの狼煙を上げていかないと手遅れになってしまうのではないか。
ジョコビッチというアイコンに対峙するのはわれらが宮沢賢治。
あらゆる客体(他人、生物、もの、、、)を主体に置き換えてみる見方、これが今必要だと思う。小麦の側から立ってみよう、ということさ。
もし本当に小麦がダメだったら、せめてこれまでのお付き合いに、僕らヒトがここまで来られたことに相当の感謝の念を伝えるべきだ。
旱魃がきてしまったとき(ないとは言えないからね)、やっぱり小麦だ!なんて言ったって、そんな時は誰も助けてくれない。