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ハナムスビ オフィシャルブログ

豆料理のレストランを経て、ここ伊那谷で生活を一からスタート 自然の循環の輪に入れさせてもらえるうよう

どう変化しよう?ストレスと進化~

どう変化しよう?ストレスと進化~

まずはこの記事を読んでください。
http://ja.allreadable.com/c07889BL

この方は、去年こちらの本を大ブレークさせた心理学者の美人センセ。
僕も読ませていただきました。
まあ、最近の心理学って人間の行動をデータとして読み取り、
ひたすら統計をとる科学なんだなと感心しました。

ユングが好きな僕としては、夢がないように感じますが、
逆にユングが好きだ、なんていうと飛んでる系に思われてしまうフシもあるので、
統計やアルゴリズムに偏っていくのは当然なんでしょうね。
この分野はミクロ経済学と一つになっていくのでしょう。

そんな話ではないです。
ストレスの話しです。

友人も先日、満員電車でのストレスについて書いていましたが、
じゃあ、いったいストレスって何だろう?
というところにはまり込んでいたところ、この記事を読みました。

何だ、当たり前じゃん、一周して戻ってきたの?と。
でも、科学的裏付けを持って戻ってきたので、フムフムフムと。
簡単に言うと、ストレスに対して嫌だと感じて避けようとするのか、
それに寄り添って前向きに生きるのか、で相当の差があるということです。

ここにもう一つの人種を加えよう。
「全くストレスを感じない人」という特異的なヒトがいます。
この人種に関しては、みんなあこがれですね~

これにも二種類が存在すると思います。
感受性はあるけれど感じないのか、全くもって鈍感なのか(男性に多いかな)。
これ、後者だと何かの疾患になりそうなとき前もって防ぐことができず、
致命的な状態になって初めて気づくことになりがちなので、
あながち良い、とは言い切れませんね。
もっとカラダの感じを感じとれる方が豊かな生き方ができると思います。

さてさて、今日はストレスを感じる人について考えていきましょう。
この記事では、認知、すなわちかけるメガネを変えることで
その後の人生に大きく影響が出るということが書かれています。
ストレスは健康に悪い、と思い込んでいる人はアメリカでは死因の第15位に!!!
どうやってデータを採ったのか気になるとこですが。

一つの出来事(ストレス)を徹底排除するのではなく、
ストレス反応を自分にとって有益なものと考えられるかどうか、、、

そう言われてもね。

進化論から考えてみたい。
そもそも、あらゆる生物にとって成長にネガティブなこと、
すなわちストレスとは適者生存から考えて、
いかにそのストレスを乗り越えて対応・変化(進化)するかにかかっています。
それを克服できなければ種共々滅んでしまう。

僕は庭の雑草取りに追われるとき、
その、禅的な時空間を体験していると、ふと、この草草の進化に驚嘆する。
彼らは明らかに、人に駆逐されること(ストレス)に対して対応・変化している!

というのも散々抜かれてきたからなのか、
多くの草たちは根と茎のちょうど境目を弱くして、
引き抜かれるとき根が残るようにブチ切れる。
残ればまた生えてくるのだから!

ああ、何という逞しさ。
あるいは、成長を加速的に早めた種もいる。
あれくらいの大きさならばしばらく放っておこう、、、
そんな思いもつかの間、あっという間に種子を付けてしまう!
これもやられる前に実になってしまう、という対応・変化の結果だと思います。

あるいは、豆類などは鳥や動物にせっかく付けた種を消化させまいと、
皮の部分に強い不消化物質を取り込み、食べられてもそのまま糞として出させ、
かつ種を遠くに運ばせようと画策した。

そんな耐性を持った豆類も、サルにはまんまと食べられてしまう、、、
サルも最初はその毒性にお腹下したり、手こずっていたのかもしれない。
けれどもいつしかそのストレスに対応・変化して、
消化酵素を手に入れ、食べられるようになった!
人はゆでて食べるしね。

あらゆる生物にとっての環境ストレス、
紫外線、温暖、暴風雨、寒冷、乾燥、湿気、などは内包して、克服する命題がある。

これが生物として、当たり前の出来事だ。
だからストレスは感じても、
成長するため身体を強くさせる出来事だと思うのが良いかもしれない、、、
少なくとも生物として。

ところが、ヒト。
困ったことにヒト。

そう簡単にいかないのがヒト。

自分たちでつくり上げてしまっている人工ストレスがこれまた厄介なのだ。

車や電車、あらゆる機会の騒音、、、
排気ガス、水道水汚染、農薬、化学薬品、食品添加物、、、
(ビルの林立による)視野狭窄、夜間の明かり、ネオン、パソコンの光、、、
ずっと座る姿勢、睡眠不足、、、
(こうしないといけませんよ!という呪縛)文化、教育、法律、、、

ヒトは他の生物と同じように、
自然環境による身体的なストレス耐性は身に付けてきた。
それが文明という名のもと、
より種としてその耐性を外的に身に付けるようになった。

例えばウイルスへの耐性だ。
かつて不治の病だった天然痘。
身体的に耐性を自然治癒力として持っている人しか生きられなかったのだけれども、
種痘ワクチンを接種するという革命的な方法で克服した。
これは個々の持っているチカラを外的な作用させて乗り越えるという、
とてつもない革命。
もちろん下水道の設備という発見も相乗効果として。

ここらあたりから(産業革命かな、時期が前後するかもだけど)、
外的に身に付けた耐性と、さらなるストレスとの戦いの幕が上がった。
すなわち人工ストレスだ。

というのも、ウイルスに耐性をつければ、相手も相手で、
その耐性の耐性を対応・変化で身に付けてくる。
ヒトはその耐性をつくる、、、
抗生物質、インフルエンザがいい例だね。
埒が明かない。

あるいは便利になるというストレス軽減が、逆に人工ストレスを生んでいる。

車は遠くまで重い荷物を運んで歩く、というストレスを完全に克服した。
ところが排気ガスをまき散らし、速く速くという時間の焦りを生んでいる。
パソコンは情報処理を格段に速くしたけれど、
ずっと座りぱなしで、煌々と光るバックライトに目がやられている、、、
事ここに関してはメリットの方が多い気がするけれど、
いずれにしても人工ストレスがあるには違いない。

そもそもヒトの身体は立って歩くように設計されてきた。
それがなされていなければ、
循環は滞り、身体はストレスを感じているに違いない。
座るのは楽だけれども、
立って歩いたうえでの座るがあるだけで、
座るがありきでは設計されていない。
これもストレス。

時間が速くなっていることもストレスだろう。
これも人間が作り出したもの。
時は金なり~

この言葉に集約されるけれど、
この速さは不自然極まりない。

そもそも自然の時間は、
まず、朝太陽が出て、沈んで夜になるという時間がある。
春夏秋冬という1年の時間。
24節季、72候という、だいたい15日、5日の季節感という時間。
あるいは月の時間。

さまざまな時を感じさせる変化があって、
その時間に沿って生きるのが生物が身に付けてきたありよう
(これはストレス耐性とかとちがって生物にもともと備わった、
神との共振、あるいは自然な在り方)で、
そもそも、そんな大きなな潮流に逆らって生きているのだから、
大きなストレスになるに違いない。

人工ストレスはどう対処すべきか?

もちろんケリー先生が言うように前向きに受け入れて、
対応・変化、つまり進化していくのが筋なのかもしれない。

受け入れると言っても、オーガニックな生活を送ったり、
気を付ける方法は多少ある。

人工とあるように、自然の法則に沿って生きることで、
なるべく避けるという方法もある。
僕らは伊那谷へ行って、そのような生活を送ることになる。

いずれにせよ、環境的な、
生物として生きるのならば当たり前にあるストレスと、
人間が文明という名のもと生み出した人工ストレスという
余剰ストレスがあることを認識しておこう。

文化、教育、法律などの呪縛ストレスは、
どこにいても精神的に解放されることが重要だから、
自分の心から感じたこと、魂が叫んでいることに従順になるしかない!だね、
これはさっそくできる!

そして、人間関係、、、
このストレスが一番厄介で、正直難しい問題だ。
仕事は大好きでずっとやっていきたいのだけれども、
どうしようもない上司が毎日変なことを言ってくる、、、
続けるためにはどうしたらいいのか?
とてつもないストレスだ。

昔習ったカウンセリングでは、
相手と過去は変えられないのだから自分が変わるしかないと、
自分が対応を変える方向でもっていこうとするのだけれども、
事の根は深い。

自分が変わって聖人君子になれるのならば、
ハハハハハと笑っていられるけれど、
完璧にはなれないし、増長する相手がいる限り、
なかなかストレスから解放されることは少ない。
カラオケ、飲酒とかは対処療法でしかないので、根本解決ではない。

さてさて、困ったことだ。

哲学的になるね。
あるいは科学的にやるならば、
例えば、
人助けをすると実は何倍も自分に営利となって帰ってくることが証明されたとか、、、
あ~ヤダヤダ。

元をただせば、虚栄心、承認欲求、上昇志向、成功思考
(成功ってそもそも定義が曖昧だよね。僕なんか死ぬ瞬間にしかわからないと思うけど)、
嫉妬、やきもちなど、
ヒトの持っているものが強くですぎることが、
相手に不快を与えてストレスを与えてしまうし、
自分もそのモチベーションだからストレスになってしまう。

タオ(老子・荘子)ではそこを徹底的に取り除くことこそ、
自然の法則に従い、
生命という単位で生きること=幸福になるんだよと説く。

どうだろう、全員ができる訳じゃないから、これも難しいね。

モデリングというものがある。
そんな強ストレス環境でも上手く立ち回っている貴重なヒトがいる。
このヒトにどんなモチベーションなのか詳しく観察、聞きだして、
そのマネをするというものだ。
これは一つ参考になるかもしれない。

先日整体のお客さまで、ひたすら上司に恵まれているといっている方がいた。
このヒトは運命的にラッキーだったこともあるだろうけれど、
そもそもの性格によるものだということは話していて分かる。

常々言うのは「ワタシ、能天気ですから」と。
最初の方の話に戻るけれども、きっと感受性は高いけれど、
それを不快と感じない生き方をしているタイプの人。
受け流す、というのだろうか。

だとしたらこれもストレス対処の一つのメソッド(方法)なのかもしれない。
どなたかの本だったかもしれないけれど、鈍感力というものがあった。
それはこういうことなのだろう。
いかに情報、人工ストレス、人間関係ストレスにさらされつつ、
重要なところだけ抑えて、あとはユルユルと漂うように生きる。
能天気、ほどほど、鈍感力、、、同じことを言っている。

そうだ、ここに共通していることは、
ヒトが何を言おうと、やっていようと気にしない、ここなのかな。
誰かがあれを言っていた、ああいうふうにすれば成功する、、、
あまり見すぎると、ツボにはまっていく。
私がここにある。
条件だね。

やはり人間関係は、どうしても決定打がなく、
抽象的なコトバに落とし込んでいくことになる。

後はよく言われることだけど、自分のしたいことができているか?は、
あらゆるストレスを駆逐することは科学的であろうが何だろうが自明のことだから、
ここに還っていくことが重要なのかもしれない、、、

、、、

さあ、生命を存分に味わおう!


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