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ハナムスビ オフィシャルブログ

豆料理のレストランを経て、ここ伊那谷で生活を一からスタート 自然の循環の輪に入れさせてもらえるうよう

郷愁のトルティーヤ

なぜあの時メキシコの地に立ったのかは、よく分からない。
21歳の頃、もう、四半世紀も前のこと。

とにかく遠くに行き、言葉や習慣の全く異質なところに身を寄せたかった、自分にインドはまだ早いと思っていて、むしろラテン気質だと勝手に思い込んでいたからかもしれない。

そうだ、デッドのオークランドのショウで、隣にいたヒッピーが「グアテマラいいぞ~」と教えてくれたのが大きい。

中米に半年くらいいた。
メキシコ、グアテマラを中心に、シティーにジャングルに、自由気ままに行き先を決めていた。

ペンションアミーゴのケンさんを中心とした住民は一体何をしているのだろうか?
ギター一本で放浪していたジプシーのセルジオ(後に殺人者だと知った、、、)はどこへ行ったのだろうか?

中米、、、

トルティーヤとサルサとインスタントコーヒー(コーヒー豆が取れるのにインスタントの怪があった)は常にあり、サルサは家庭の味というのか、辛味の強いものから薬味の強いものまで幅広かった思い出がある。

トルティーヤ
僕がその存在を知ったのは十代のころアメリカンレストランで働いていたころだ。
メニューにタコスがあった。

シーズニングで炒めたひき肉、レタス、トマト、玉ねぎ、チーズを挟み、お好みでサルサ、サワークリームをトッピングっするというもの。その手のレストランではおなじみの、のちにアメリカへよく行くようになってからはタコベルというファーストフードでお世話になった、あのスタイルだ(タコベルは野菜が少なく、もっと粗雑な食べ物だった)

ところがメキシコ、中米ではそんな食べ方をしていなかった。

トルティーヤを何も挟まず葉巻のようにクルクルクルと巻いて、おかずをスプーンなりで口に運んでから、その巻いたトルティーヤを食べる、、、器に残った微妙な食べ残しをすくうためにトルティーヤを使うこともあったけど、最初から何か具を挟むことはなかった。

すなわち僕が世界を知らなかった頃、メキシコ何ぞや?を思い描いて、タコスがあるぞ!とかってに決めつけていたのは、実はアメリカのメキシコ風の食べ物だったのだ。

滞在中、主食ゆえ大変お世話になった食べ物、トルティーヤ。
せっかくだから作ってみよう。


そんな気になるのは、家に製粉機があるから。

ポップコーン用につくったコーンが余っていたのでそれを製粉してみた。

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小麦に比べて、コーンをひくと熱をもつ。

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小麦もひいた。

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キレイな、光沢のない黄色。

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コーンの量が少なかったので、小麦、そのふすまも混ぜた。

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その対照的な色にしばらくハマっていた。

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指でグルグルうずを描いてみた。


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それを円を描くようにふるってみた。三位一体のイーヤンだね!

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トルティーヤ焼けた。ん、、、もっと水分量を多めにタネを作るべきだったか、硬い。

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これは外せない。田中家おなじみのワカモレ~。今度トルティーヤチップス作ってもいい。


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タコス! パクチーもりもりで。

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昼はうどん、夜タコスな粉もんの一日。

皮はふすまが多く、コーンが少なかったせいか、ふすまの雑味の味が濃く出てしまった。
400グラムの粉に対してレシピでは300グラムの水だったのだけど、普段、麺、餃子の皮ではそんなに入れないので、経験的に水の量を少なくしたら皮が硬くなった、、、のかもしれないし、そもそもそれぞれの粉がパサつくのかもしれない。

次はブリトーかな。
具材的にはブリトーのほうが遊べる。

飴は蜜にあらず

蜜は狩猟、飴は農耕なんだなと麦芽糖を作っていて思った。
飴づくりの化学反応を最初に発見した人と握手したい。
心をくすぐる知恵が詰まっていて、できあがりが甘く美味で、ほころぶ。

飴の語源は「あま(甘)」から来てるそうな。

それをなめて「あめ~!」lとなったのだろうか、、、

糖質は舌にのせた瞬間、脳を刺激して快楽物質を放出させるのでよく薬物に例えられる。

これを報酬系という。
自然の甘みイコールエネルギー。食にありついて生を全うするためには最小の消費エネルギーで最大の摂取エネルギーを獲得することが重要になる。何でも食べれば良いという訳ではない。必要なものは何なのか?それを見極めるため進化は報酬系という脳の仕組みをつくった。

「ハイ、今食べたその果物、正解!!!糖質がたくさん含まれている。それはエネルギーに代わるからよく憶えておけ。正しい行為だから脳に快楽物質を出してあげよう」

ブゥワ~~~~~~~と脳内に気持ちいい物質が充満する。

生きていくために必要なものを正しく摂れているか?
これを知らせてくれるのが報酬系。
糖質はその最たるもの。摂れば「それは正しい!」と快楽物質を放出してくれる。

そう、ダイエットが難しいのは報酬系との闘いだから。悠久の、連綿と築き上げてきた生死を分ける生理システム。もっと!もっと!と要求してしまう仕組みに、容易に打ち勝てない、、、

甘み、、、

豪華で喜びで笑いで幸福の魔法。

昨年大麦を育てたのは、近年砂糖に(今は人工甘味料だけど)その座を奪われるまで、古来から蜂蜜と双璧をなした麦芽糖(水飴)が作りたかったから。

みんなが喜び、福福しくなる。

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浸水。3日間プクっと膨らむまで。

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さらしにしっかり水を含ませて充分に膨らんだ大麦を敷く。上からも濡らしたさらしをかける。

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次の日から発根。三日くらいたてば発芽してくる。ひょろ長いのが根。黄緑色した角が芽。愛着のわくカタチ。

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一週間も経てばワッサワサ。種の三倍程度に芽が延びたとき、種自身の持つ糖化酵素が最大限になる!
酵素が最大限になったとき、内包している炭水化物を分解し糖を生産して自身を成長させる。この生のダイナミズム!神秘を感じる。

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大豆だけでなく、穀物も芽が出て葉になる前の状態をモヤシという。ワッサワサのモヤシ。

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種という休眠状態から生へ。

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ここで一気に乾燥させる。生をヒトの手で強引に止めてしまう。ああ、ああ、、、

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完全に乾燥させたらすりこぎでゴリゴリと種を割るように。ミルで粉砕すると書かれているものが多いが、熱を与えてしまうとそれこそ酵素が死んでしまうのでは?と思ったので、ここは丁寧に。

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大麦2カップ半に対して、もち米1キロ。3リットルの水で炊き上げ、そこに砕いた発芽大麦を混ぜる。

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6~8時間、60度をキープ。すべての作業の中でここが一番大変。量が少なければジャーでいけるのかもしれないけど、今回は薪ストーブの上に鍋を浮かした状態でおき、うまく60度をキープした。入れてすぐに大麦の酵素で糖化が始まり、シャビシャビになっていく。化学だ!

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7時間後、さらしで絞る。もち米は分解され、繊維状になっているので絞りやすい。白濁で青臭い。

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へらからダラ~~っと糸が引くまでとにかく煮詰める。ひたすら煮詰める。

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1リットルくらいとれたのだろうか?かなり少なくなった。

あめ~~~!
砂糖の30%の甘み、糖質の中でも上品な甘味と言われるだけあって、口に含んでからゆっくりと幸福が訪れる。何と美味しいことよ!
懐かしさも添加される。

そしてこの労力。
費やす時間と熱量がたやすくない。それほどにまで追い求める甘味。
生きる上では必要のないものだ。米食べていれば事足りるし、わざわざ、、、

この、わざわざが笑顔につながり幸福となっていく。
贅沢品だね。嗜好品と呼んでもいい。

今やそれは砂糖に代わり、砂糖は人工甘味料となった。

飴と比べてなんとお手軽に糖質が取れてしまうのだろうか!!!

貴重で希少で贅沢な飴。
糖を深く感じることができた飴づくりだった。

赤子の便秘解消にもいい。
子どものおやつ、割りばしでネリネリしてもいい。
みたらし団子、自分のおやつにグラノーラバーを作ろう。

飴づくりは奥が深く、手がかかるだけで難易度は低いので手作り、超おススメです。

年神様を迎え入れる~臼作り一年目

一年目

臼作りのため、山からとても太い欅を切り出しました。

それはそれはお見事な欅。
盛木材の裏の里山で二年前に切り倒した欅、3~4本分。

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(まっすぐに切る。その姿勢。90㏄のエンジンは一発の爆発力とトルクが半端ない!プロの道具。使わせてもらった。カット後のアドレナリン放出量のもの凄いこと。顔がブワーっと熱くなった。)

それを4メートルほどにチェーンソーで切り、
ポンポンという、山から伐木を運び出すキャタピラー走行の機械でおろし、
平地で2寸サイズ(60センチ)に切っていく作業。

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ポンポン

・・・何よりも、
盛木材の山の仲間たちと作業をともにできたことは素晴らしい経験だった。

一瞬のミスが死につながるため、
一つ一つの動きの正確さ、先を見越した危険回避、
ここという時のまなざし、身体の使い方、
全てにおいて無駄がない。

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(極太の欅をポンポンにクレーンで乗せる。緊張感に包まれる。ポンポンの音はしているものの静寂。)

その緊張感に命、という僕ら生命体の、すっかり遠くに置き去りにしている出来事を発見する。

生き、生かされる、、、

僕らの進化は危機を克服してきたという長い歴史の背景がある。
一瞬のミスが死につながるという作業を終えたときに、
また新たに生の前向きな心持ちをグッと拳を握るような反射で感じることができる、、、

これを毎日やっているのだから、
山仕事をしている人たちは、少し向こう側に死があるという、
ごく当たり前の「生」が宿っているんだと感じました。
(漁師さんなども同じマインドなのだろう)

この人たちが切り出した欅で臼を作ることの意味合いが深くなった。

前回のブログに書いたように(こちら
美味しいお餅を自分で作った臼で食べたい、という楽しみは多分にあるものの、
その臼でついたお餅で鏡餅を作り、
年神様を迎え入れる、、、

年の初めの、感謝と祈り。

自分たちがおのおの作った臼で、
自分たちの、友人の、隣人の、愛すべき人達のために、
健康、幸福を祈念して鏡餅を作る。

僕ら一人の存在は、
宇宙全体のひとかけらに過ぎない。

巨大な宇宙の平和を祈るのと同じく、
小さなひとかけらに過ぎない僕らが一つ一つ周囲の、
気の届く範囲のなかで、健康、幸福を祈り、
鏡餅というみえる形で心をシェアするのは、
ローカルな霊性の実践としてとても実のあるものだと思う。

その命を吹き込む切り出しという作業に、
盛木材の仲間たちとできたことは大きな価値がある。
このミラクルな出会いに感謝!

何気に始まった臼作りだけど、
作業をしている間のハート感というのかな、
緊張と遊び心と希望と、
さまざまな前向きな想いが交差して、
いい流れができてきているのを感じとりました。

来年は荒削りと臼のまわりの加工、
杵つくり、、、

ここからでも良かったら参加してくださいね。

三年という先の長い作業。
時がかかるけれど、
そろそろ鏡餅くらい餅つき機に任せずに自分の手で搗きたい。
自分の育てた臼で。


さて、、、

しばらく餅のことを考える時間が多くあり、
それはひたすら餅の食べ方のことでした。
おろし大根、納豆、あんこ、きなこ、、、
オーソドックスな食べ方はすぐに頭に浮かぶけれど、
これ以外の食べ方でスタンダードになったものが思い浮かばない。

ポテンシャルはあるのに、食べ方が画一的?

餅ピザがあるように、
トマトソース的なものはどうだろうか?

ニョッキみたいにもできるかもしれない、、、

そもそもご飯と同じ考えで、ご飯のお供なら混ぜやすくすればいけるかもしれない、、、

無限大に想像膨らむ。
ああ、最高。
みんなでついた餅で、あれこれ試作しながら食べるのもいい。

レシピ募集中!

三年目、臼と杵が仕上がるタイミングで、
もち米づくりができればいいなと夢想中。


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4本中3本は欅特有の後光(五光?)割れ(ゴコウワレ)という現象でチェーンソーで切ったそばからパキパキ音を立てて割れてしまった。ひびが強すぎて使えず。

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模様はきれいなんだけど、、、

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この一本が筋が良く、使えた。


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60センチにまっすぐカット。


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大中小、合わせて5本が取れた。これを一年乾燥~


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模様のいい部分を厚さ10センチほどにカットしてもらい、お土産に。テーブルか何かに使おう。嬉しい。


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盛ちゃん、ジョージ君、カール



場と一つになるという健康 菌と親密になる

生活を愉しむ

これに尽きますね。

身体を整え、生活における多彩な動きをこなし、
生活を豊かにするためできるかぎり自分で創作する。

生活と身体の動き。
健康の王道です。

手間暇はかかるけれど、それ以上の歓びが必ず得られるから。


My醤油、三週間前に仕込みました。

隣町、高遠を中心としたメンバーに入れさせてもらい、
念願の醤油づくり!

お味噌より難易度が高いから、なかなか手が出なかったけど、
いいタイミングで声をかけてもらいました。

オーガニックの大豆、麦で麹を起こしてあるからとても安心。
そして参加者の方たちの話によると、
よほどのことがない限り美味しく仕上がるとのこと!!!

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しばらくは一週間に一度天地返しを。臭いがプ~ンとしていい!

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調味料の中で使う頻度の高いものの一つ。

何しろソバに使える。

ゆっくり熟成させ、
来年の生活の一部になる。
それを毎年繰り返す、、、

菌との生活は豊かだ。

身土不二(しんとふじ)

食養やマクロビなどでよく使われる言葉で、
身体と土は二つでない、一つだよ、という意味で、
その土地で採れた、旬の野菜を頂くのが健康の第一と言われている。

ところで僕は実は昔の人が直観していたのは、「土」でなく、
「菌」だったんじゃないかと思うのです。

場というのは、
川や地下水が流れているから龍脈がある。
気の流れですね。
あるいは磁場、
山の高低差、谷である場合や丘である場合で磁場が変わってきます。
それに伴う風の流れ方。
陽の当たり方、地質、さまざまな要因で「場」の醸し出すリズムが違います。

そこに生命があります。
森があれば、木々の壮大なエネルギーが放出されます。
それでもそこが整備されているか、荒れているかでエネルギーの質も変わってくる。
人がどうするとか以前の場はパワースポットと呼ばれるように、
場が木を巨大にしたり、完全な調和のとれた空間に仕上がっていくのでしょう。

目で見えるものが全てではない。

パワースポットのように森の一部が調和を取って存在するのも、
場が荒れるのも(これは人為的なところもあるけれど)、
最も原始的な存在である菌の存在を無視できない。

そう、僕らヒト、あるいは木などの存在以前から菌は存在し、
今も僕等の周りに何兆、何京、数えるのがバカらしいほどに存在しているのです。

それは口の中、腸の中、
あるいは常在菌といわれるように、
身体全体に、服を着るその手前に菌群をまとっている。

健康な整った腸を見ると約100種類100兆個の菌たちが、
お互いに場を侵さない限りで美しく存在しているようです。
これを腸内フローラといいます。

それは腸に限ったことでなく、自然界のすべてでその作用が働いている。
生命が美しく育つには、腸内環境を整えるのと同じで菌群が美しい形で存在しているのが条件でしょう。

だからパワースポットと呼ばれる場は、
気の流れ、磁力、そして菌群の調和が整っている場を言うのだと思います。
あれだけの巨木を育てるには、やはり菌群を無視できない。
(人が住むにはエネルギーが強すぎるけど)

さて、菌群。
僕らは生活をするための場がある。
上記から、健康、調和の取れた生き方をするには、
(もちろん場選びが最も重要だけど)
その場の菌群と共生していくことが大切でなのです。

ましてや除菌、除菌、とスプレーをかけまくっている生活は、
場と一切調和しまいと、戦いつづけているので一向に健康にはなれません。
やはり共生がこれからの時代の健康観には欠かせない。

場の菌群とどう共生するか?

これがヒトの食生活が作り上げてきた大きな叡智です。

発酵食

その場で自分で作って、
その場の菌群に働いてもらい発酵し、熟成し、
それをいただく、、、

そこで場と私が一つになります。

同じように味噌を作っても個々で味が変わるのは、
その場の菌群の組成によってくるからです。
つまり場のリズム、これが発酵という作用によって転写するのです。

だから、田舎に住んでいようが、都会に住んでいようが、
発酵食を自分で、その場で作ることは、
腸内環境だけでなく、
その場と私が一つになる行為としてとても重要なのです。

これが身土不二の隠された大きな健康観。

発酵ライフ始めよう!
場と一つになろう!

豊かになれる。

伊那谷で初めての収穫祭

大地は偉大なり。

今、産まれて初めてと言えるほどの豊かさを味わっている。

これから一年分のお米があり、
カボチャ、芋、サツマイモ
あるいは豆類などの保存がきく食べ物があり、
今まさに収穫を迎えているネギ、大根、白菜は雪解け頃までもつので、
暖かくなるまで食料はこれでしのぐことができる。

自分たちの手によって育てられた安心できる食べ物だということが何よりじゃない。

一年を通して今出ている食べ物が一番美味しい。
新米、新蕎麦、里芋、サツマイモ、ネギ、落花生、カブ、、、
滋味というのかな、夏野菜のみずみずしいフレッシュ感と違い、
深い味わいが(土の香りなのかな?)感じられる。

昔だったら当たり前のことだけど、
それらを子どもに食べさせられることの歓びもある。
どうなってほしいとか遠い希望ではなくて、
どう身体を創るか、どう心をはぐくむか、
それを食を中心とした生活でやしなっていくのがいい。

僕は農作業や大工仕事をやりながら仕事に行き、
マイコは子どもを見ながら隙を見て農作業をする毎日は多忙で、
余裕のある生活ではないけれど、
食をはじめ、自分で何事も創り出していく生活はとても豊かだ。

やることあり過ぎて余計なことを考える暇がない、ってこともある。
やることが義務か、自発的かで180度ベクトルが変わるけど、
後者なら気持ちは満ちているね。

この豊かさはどこからもたらされているのか?

それは、
陽(火)であり、
大地であり、
水であり、
微生物であり、
風であり、、、

多くの僕らを取り巻く環境全てなんだ。

感謝祭

今年は、
多くの人に伊那まで来てもらい、
米や野菜にたくさん触れてもらった。

多くの人の前向きなエネルギーが
強く、しなやかで、美味しい作物を育てる。
自分たちが食べ、ベイビーが食べ、先祖様にお供えする。
これがハナムスビの目指す食と健康。

ホント、今年一年、無事に育っていただきました。

美味しく頂きます!

ありがとう。

手伝ってもらった多くの仲間をはじめ、
全ての僕らを取り巻く環境に深く感謝します。

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