ハナムスビ オフィシャルブログ

豆料理のレストランを経て、ここ伊那谷で生活を一からスタート 自然の循環の輪に入れさせてもらえるうよう

秋がやってくる。

もう「秋の風」と呼びたくなるような涼やかさがある、伊那谷。

稲の穂は黄色く、こうべが垂れはじめ
向日葵はうつむき
蛙や蝉の声がだんだんと小さくなり
入道雲から、うろこ雲に変化している。

休日はプールに入ったし、サンダルで出かけるような陽気の一方で
秋がしっかりとすぐそこに来ている。

お盆の間、母子3人で実家に帰省していた。
湿度の高い暑さに耐えられるかと思ったけれど、
誰も体調を崩すこともなく、夏を楽しんだ。

普段の生活で身体づくりができている賜物だと思った。
旬を存分に口にしていること。
汗をかきながら筋肉を使っていること。
夜ぐっすりと眠れること。
気候以外にも、疲れやら外食やら、慣れないことに負けない身体になっているようす。

7歳の娘にとっては
久しぶりの都会、人、遊びを満喫した夏休みになり、
1歳半を過ぎた息子にとっては
喜びの対象が、農作業の車から電車に代わった2週間。

伊那に戻って初めて田んぼに向かうとき、
陽に当たってキラキラしているトンボの大群を見た。それは8月頭にはなかったこと。
「うわー!!」二人ともおおはしゃぎ。

夏を惜しみ、秋への準備。
畑はトマトやきゅうり、枝豆たち夏野菜がいつまで採れるかな。
今はモロヘイヤが旬。
さつまいも、里芋、落花生、かぼちゃのまわりをカズさんが雑草を取ってくれた。
大根、白菜、秋冬の野菜たちに向け土づくり。

お米やお豆さん(今年は大豆と小豆)の収穫、
市場には果物やキノコがずらっと並ぶ秋・・・

また楽しみが巡る。

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バイバイ、夏。









田舎暮らしの夏、3年目

娘が小学生になり、初めての長い夏休みがやってくる。
とは言ってもこちらは夏休みが短い。
娘が通っている学校は、今日終業式で8月の後半には始業式があるので1ヶ月弱。

学校の授業には畑作業をする時間も組み込まれている。
最近は毎日プールに入り、大荷物を持ち汗だくで帰宅し、そしてまた友だちと遊ぶ。
日焼けした肌、筋肉がついてきた四肢、のびやかな身体。
田んぼでも畑でも親と一緒に作業をしてくれる娘は、本当によく動く。

1歳半を過ぎたばかりの息子も、外にいることが多い。
暑さが厳しいので、畑仕事は10時まで。
その間、土をいじったり、水遊びしたり、うろうろ歩き回ったり。
自分の興味に没頭している間は親も作業が進む。

山、青空、雲
そして草木や稲
色彩がくっきりと鮮やかな夏。

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暑い暑いと言いつつも、家の中はクーラーなしでも全く問題ない。
ときおり通る風だけで、十分心地よい。
林から聞こえる鳥や蝉の鳴き声が心を落ち着かせてくれる。
時間ごとの変化も楽しめる。

夕方は、空がうすいオレンジ色に染まって見惚れる日もあれば
大粒の雨であわてて窓を閉める日もある。
どちらもありがたいと感じる。

お米と野菜のほか、大麦、小麦にまで手を出してしまった今年、
畑は手が回らず雑草だらけにしてしまった。
我が家で食べる分の野菜は採れているけれど、
うまく育ててあげられなかった子たちもいる。

四季は毎年めぐるけれど、
同じ年は二度ない。

もし、東京に住んだままだったらどんな夏を過ごしていたのかな。
娘が4歳になるまでは東京にいたのに、本当に遠いことのよう。

私たち家族にとって、この環境にいられるのは幸せなこと。
夏の思い出、たくさんつくろう。


慣れ

7月に入り、初採れ夏野菜のめぐみ!が続いている。

甘かったスナップエンドウが終わり、
ピーマン、レタス、パクチー、トマト、きゅうり、ズッキーニ、じゃがいも。
「あ、できてる♪」の連続、喜び。

ピーマンはまるごと炭火焼。
きゅうりは自家製の梅味噌つけて丸かじり。
ズッキーニは塩でもんでポン酢和え。
じゃがいもはふかして塩(醤油)バター、そしてフライドポテト。

これらはまだまだ収穫できる。なにをつくろう。

ナス、オクラ、サンマルツァーノ、トウモロコシ、モロヘイヤ。
まだ食べられる段階ではないけれど、日に日に育っている野菜たちもいる。

畑で採れたものをすぐに食べられる幸せ。

でも一方で、この喜びや興奮の度合いが、去年よりも減っていることも感じている。

春後半の気温がなかなか上がらなかったり、雨が降らない期間が長かったりの影響か
今年の野菜たちは少しだけ元気がない。
新鮮でも味がイマイチのものもある。
そういう理由もあるかもしれないけれど、
「自分たちの畑で採れた野菜のみずみずしいこと!美味しいこと!感動!!」
といった盛り上がりがちょっとばかり足りない今年の夏。

野菜を育てることが生活の一部になった、とも言えるし
単に慣れてしまった、とも言える。
そういえば初収穫した野菜たちの写真も撮っていない。

もったいないなぁ…
作業や営みには慣れて、喜びには慣れないでいたいけど。
そんなの無理かな。

小学生になった娘も、当初の新鮮さや意欲が落ち着いてきて、
慣れたゆえの手抜き感がちょこちょこ見える。
もちろんそんなことは当然で、慣れることは悪いことではない。

でも、そう考えながら同時に想う。
今の平穏や、家族の健康や、この生活は当たり前ではないのだと。
どこにいても、何をしていても、今がずっと続くわけではない。

食卓に上る野菜たちのほとんどが畑で採れたものになる、夏の幸せ。
そうできることのありがたさをかみしめよう。そして子どもたちにも伝えよう。
そして、今日も元気に過ごせることに感謝です、と改めて思う。


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こちら、6月30日の収穫

補植と落ち穂拾い 

ようやく前半戦の山を越えたところ。

ホッと一息

5月27日から三日間の田植え。
その後、補植(倒れている稲を起こし、植え忘れていたスペースを発見して植えたりする作業)しつつ、ヒエの早速の猛攻に対峙していた。

去年作った、竹ぼうきを改造した田んぼ専用ほうきに効果があったから、集中的に生えているところをガシガシ、表面の泥をひっかくように動かした。根が浅いうちのヒエは、ほうきの先の程よいしなりに上手く表土からはがされる。はがされたヒエはそのまま水に浮かぶので、そうなれば再生しない。

ここでの身体の動きは田植えと違って腰を曲げず直立でいられる。ぬかるみの中で足のバランス感覚を研ぎ澄ませながら、オールをこぐようにほうきで表土を掻く。車が横を通るたびにジッと見ていくのだけど、それはきっと、「なに、田んぼを掃除してんのか?この人は?」とビックリしているのだろう、不思議な光景だ。

一息。

今年の田植えでの気づきは大きなものがあった。

なぜ、毎年米作りをするようになったのか?
相変わらず直観と行動の隙がない生を送っているせいか、気づきはゆっくりと訪れる。

最高に気持ちいい。

これだけのことだった。
身体をフルに動かして、数多の生命を請け負い、自然のキャンパスに想いを描く。
家族、来てくれた仲間、そしてその多くのつながりに感謝しつつ、豊作を願う。

それ以外、何があるというのだろうか!

やはり身体の設計図は身体を動かすようにできている。ご先祖さまから連綿と積み上げてきたその仕組みに沿って動かせば、身体は喜ぶものなんだ。

田植えのあいだ、僕の気持ちは、この広い田んぼに三日で植えきること、その段取りに追われていた。実際田んぼに入っているときは、身体の動かし方、4列が良いのか、5列は欲張り過ぎなのか、植えるときの指の角度、苗をちぎるときいかに根を残すか、、、いわゆる左脳系が稼働していた。
もちろんそこに祈りを込めているのだけど、どうも、「いかにこなすか?」が占めていたようだ。

さて、予定通り三日で田植えが終わり、さあさあ、補植だと勢いに任せて田んぼに入っていたとき、変化を感じた。数多の生命を無事、田んぼというフィールドに移動できたこと(来てくれた仲間の手伝いなくしては無理でした。ありがとう!!)、身体が無事に持ったこと、事故なくすんだこと、多くのクリアすべき課題から解放され、ゆっくりとヌカルミを踏みしめ、空いているところに一本一本丁寧に植えていると、祈りの深度が違うことに気が付いた。

まずもってハイだった。
ランナーズハイがあるように、田んぼハイがある。
家族一年分の膨大なカロリーを得るために、膨大なエネルギーをもって向かい合った。
その山を越えたときの余韻ったら!

この余韻が時の縛りを開放してくれるのか、ここにいるのでも、どこにいるのでもなく、ただただ、一本植える度に37兆個の細胞が放つ祈りがヌカルミのブラックホールに吸い込まれていくのを感じた。

僕らは何か祈りをささげるとき、空間を介してテレポートするように思っているフシがあるけれど、土を介して、あるいは重力を介して祈りが伝達することもあるんじゃないかと思った次第。

補植は、田植えが終わったあとの、時間的、体力的余裕でやるものだから、面倒くさいとやらない人も多い。

でも、一年、それなりに苦労して作るのだから、少しでも空いているスペースがあれば植えていきたい。欲でもあるし、もったいないという心でもあるし、何よりも、この余韻と時の感覚が好きだ。

それは落ち穂拾いも同じで、稲刈りという大きな仕事が終わった後、その余韻でやる。もちろんやらなくてもいい。ただ、その余韻と時の感覚に深く入っていく、ある種の心地よさ、それは祈りの本質なのだろうか、ただすべてを受け入れ、感謝をささげる、、、
普段の生活で日常の些事に追われていると、そう簡単にできることではない。

今年の田植えは、補植と落ち穂拾いという、本流ではない支流の目立たない流れに、永遠を見出すことができた。

自然との共生、というと頭では分かっているものの、雲をつかむようでわかりにくい。
身体をフルに使って自然と向き合ったとき、その後に来る高揚感が身体とその取り巻く環境(自然)を一つにさせてくれる。

自然に入る
身体をフルにつかう

そう進化してきたし、
これが祈りの民である僕らの本質なんだと思う。

今日も畑に出る。

朝起きて、顔を洗って、朝食を食べて、娘を見送って、片付けをして、
という毎日の一連の流れと同列に

畑に出て、

という行為がある。
一応ここで野菜を作るのは3年目(1年目は住んではなかったのでほったらかし畑)。
去年の今頃のブログを見ると、やっぱり畑のようすを書いている。
だけど今年より雑草がないな(笑)

記録として写真をずらり。

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サンマルツァーノ。去年みんなに喜ばれた加熱用トマト。
種取りをして、今年も大量に作るつもりだったけれど生育がゆっくり。
気候?種?土?原因はわからない。実が元気につくことを祈ってます。


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じゃがいも。今年は3種。花の色が好き。
今年は早めに害虫を除くことができた!カズさんが土寄せしてくれた。


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トウモロコシ。去年はポップコーン用だけだったので、娘からリクエスト。


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スナップエンドウ。今日で収穫3日目。息子がパクパク食べる。


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サツマイモ2種。別で干し芋用も30本植えました。
一時期、水不足で葉が朽ちてしまい、ごめんね…とダメもとで水をやっていたら復活!!
この子たちの生命力に力をもらいました。見る度にありがとう、と思う。


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イチゴ。4本の苗からランナーを伸ばし、孫、ひ孫の苗を育てた結果、50本以上植えられた!!
続々イチゴが色づき、子どもたち(ご近所さんも含め)は毎日畑でイチゴをつまむ。
ただジャムをつくれるほど豊富に成るわけではないので、今後は肥料なども検討。


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落花生。カズさんの秋の愉しみ。発芽率が良くなく、種を買いなおしてました。
食べるのも楽しみだけど、この葉の姿がお気に入り。


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初挑戦のパクチー。
今年はオレガノ、ミント、バジルといった香草系も植えました。


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サニーレタス。の畝に赤紫蘇ちょろり。
種取りしたものから発芽すると嬉しい。
そして耕したのに去年のこぼれ種からいくつも赤紫蘇が出てきてこれまた嬉しい。
(まいた種からはあまり出なかった・・・)


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こぼれ種といえば小豆も。
今年は高遠の方にもらった黒小豆(別名、わんはげ!お椀がはげるほど舐めたくなる美味しさ、という意)を
育てるけれど、去年の小豆ちゃんもそのまま大きくなってもらいます。

これら以外も諸々植わっています。やっぱりこう見ても雑草がすごい(笑)
何が植わっているか知らない人が畑に入ったら、野菜たち踏まれるだろうな。
「今日はここの雑草取ろう」と畑に向かっても、いつのまにか違うことをやっている。
つまり手がまわってないというわけですが、
それでも夏野菜はたくさん食べられるはず!去年の経験から。

畑に出る。「やらなきゃ」もあるけれど楽しみがたくさんある。
こんな日常に、満足している。

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