ハナムスビ オフィシャルブログ

豆料理のレストランを経て、ここ伊那谷で生活を一からスタート 自然の循環の輪に入れさせてもらえるうよう

慣れ

7月に入り、初採れ夏野菜のめぐみ!が続いている。

甘かったスナップエンドウが終わり、
ピーマン、レタス、パクチー、トマト、きゅうり、ズッキーニ、じゃがいも。
「あ、できてる♪」の連続、喜び。

ピーマンはまるごと炭火焼。
きゅうりは自家製の梅味噌つけて丸かじり。
ズッキーニは塩でもんでポン酢和え。
じゃがいもはふかして塩(醤油)バター、そしてフライドポテト。

これらはまだまだ収穫できる。なにをつくろう。

ナス、オクラ、サンマルツァーノ、トウモロコシ、モロヘイヤ。
まだ食べられる段階ではないけれど、日に日に育っている野菜たちもいる。

畑で採れたものをすぐに食べられる幸せ。

でも一方で、この喜びや興奮の度合いが、去年よりも減っていることも感じている。

春後半の気温がなかなか上がらなかったり、雨が降らない期間が長かったりの影響か
今年の野菜たちは少しだけ元気がない。
新鮮でも味がイマイチのものもある。
そういう理由もあるかもしれないけれど、
「自分たちの畑で採れた野菜のみずみずしいこと!美味しいこと!感動!!」
といった盛り上がりがちょっとばかり足りない今年の夏。

野菜を育てることが生活の一部になった、とも言えるし
単に慣れてしまった、とも言える。
そういえば初収穫した野菜たちの写真も撮っていない。

もったいないなぁ…
作業や営みには慣れて、喜びには慣れないでいたいけど。
そんなの無理かな。

小学生になった娘も、当初の新鮮さや意欲が落ち着いてきて、
慣れたゆえの手抜き感がちょこちょこ見える。
もちろんそんなことは当然で、慣れることは悪いことではない。

でも、そう考えながら同時に想う。
今の平穏や、家族の健康や、この生活は当たり前ではないのだと。
どこにいても、何をしていても、今がずっと続くわけではない。

食卓に上る野菜たちのほとんどが畑で採れたものになる、夏の幸せ。
そうできることのありがたさをかみしめよう。そして子どもたちにも伝えよう。
そして、今日も元気に過ごせることに感謝です、と改めて思う。


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こちら、6月30日の収穫

補植と落ち穂拾い 

ようやく前半戦の山を越えたところ。

ホッと一息

5月27日から三日間の田植え。
その後、補植(倒れている稲を起こし、植え忘れていたスペースを発見して植えたりする作業)しつつ、ヒエの早速の猛攻に対峙していた。

去年作った、竹ぼうきを改造した田んぼ専用ほうきに効果があったから、集中的に生えているところをガシガシ、表面の泥をひっかくように動かした。根が浅いうちのヒエは、ほうきの先の程よいしなりに上手く表土からはがされる。はがされたヒエはそのまま水に浮かぶので、そうなれば再生しない。

ここでの身体の動きは田植えと違って腰を曲げず直立でいられる。ぬかるみの中で足のバランス感覚を研ぎ澄ませながら、オールをこぐようにほうきで表土を掻く。車が横を通るたびにジッと見ていくのだけど、それはきっと、「なに、田んぼを掃除してんのか?この人は?」とビックリしているのだろう、不思議な光景だ。

一息。

今年の田植えでの気づきは大きなものがあった。

なぜ、毎年米作りをするようになったのか?
相変わらず直観と行動の隙がない生を送っているせいか、気づきはゆっくりと訪れる。

最高に気持ちいい。

これだけのことだった。
身体をフルに動かして、数多の生命を請け負い、自然のキャンパスに想いを描く。
家族、来てくれた仲間、そしてその多くのつながりに感謝しつつ、豊作を願う。

それ以外、何があるというのだろうか!

やはり身体の設計図は身体を動かすようにできている。ご先祖さまから連綿と積み上げてきたその仕組みに沿って動かせば、身体は喜ぶものなんだ。

田植えのあいだ、僕の気持ちは、この広い田んぼに三日で植えきること、その段取りに追われていた。実際田んぼに入っているときは、身体の動かし方、4列が良いのか、5列は欲張り過ぎなのか、植えるときの指の角度、苗をちぎるときいかに根を残すか、、、いわゆる左脳系が稼働していた。
もちろんそこに祈りを込めているのだけど、どうも、「いかにこなすか?」が占めていたようだ。

さて、予定通り三日で田植えが終わり、さあさあ、補植だと勢いに任せて田んぼに入っていたとき、変化を感じた。数多の生命を無事、田んぼというフィールドに移動できたこと(来てくれた仲間の手伝いなくしては無理でした。ありがとう!!)、身体が無事に持ったこと、事故なくすんだこと、多くのクリアすべき課題から解放され、ゆっくりとヌカルミを踏みしめ、空いているところに一本一本丁寧に植えていると、祈りの深度が違うことに気が付いた。

まずもってハイだった。
ランナーズハイがあるように、田んぼハイがある。
家族一年分の膨大なカロリーを得るために、膨大なエネルギーをもって向かい合った。
その山を越えたときの余韻ったら!

この余韻が時の縛りを開放してくれるのか、ここにいるのでも、どこにいるのでもなく、ただただ、一本植える度に37兆個の細胞が放つ祈りがヌカルミのブラックホールに吸い込まれていくのを感じた。

僕らは何か祈りをささげるとき、空間を介してテレポートするように思っているフシがあるけれど、土を介して、あるいは重力を介して祈りが伝達することもあるんじゃないかと思った次第。

補植は、田植えが終わったあとの、時間的、体力的余裕でやるものだから、面倒くさいとやらない人も多い。

でも、一年、それなりに苦労して作るのだから、少しでも空いているスペースがあれば植えていきたい。欲でもあるし、もったいないという心でもあるし、何よりも、この余韻と時の感覚が好きだ。

それは落ち穂拾いも同じで、稲刈りという大きな仕事が終わった後、その余韻でやる。もちろんやらなくてもいい。ただ、その余韻と時の感覚に深く入っていく、ある種の心地よさ、それは祈りの本質なのだろうか、ただすべてを受け入れ、感謝をささげる、、、
普段の生活で日常の些事に追われていると、そう簡単にできることではない。

今年の田植えは、補植と落ち穂拾いという、本流ではない支流の目立たない流れに、永遠を見出すことができた。

自然との共生、というと頭では分かっているものの、雲をつかむようでわかりにくい。
身体をフルに使って自然と向き合ったとき、その後に来る高揚感が身体とその取り巻く環境(自然)を一つにさせてくれる。

自然に入る
身体をフルにつかう

そう進化してきたし、
これが祈りの民である僕らの本質なんだと思う。

今日も畑に出る。

朝起きて、顔を洗って、朝食を食べて、娘を見送って、片付けをして、
という毎日の一連の流れと同列に

畑に出て、

という行為がある。
一応ここで野菜を作るのは3年目(1年目は住んではなかったのでほったらかし畑)。
去年の今頃のブログを見ると、やっぱり畑のようすを書いている。
だけど今年より雑草がないな(笑)

記録として写真をずらり。

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サンマルツァーノ。去年みんなに喜ばれた加熱用トマト。
種取りをして、今年も大量に作るつもりだったけれど生育がゆっくり。
気候?種?土?原因はわからない。実が元気につくことを祈ってます。


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じゃがいも。今年は3種。花の色が好き。
今年は早めに害虫を除くことができた!カズさんが土寄せしてくれた。


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トウモロコシ。去年はポップコーン用だけだったので、娘からリクエスト。


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スナップエンドウ。今日で収穫3日目。息子がパクパク食べる。


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サツマイモ2種。別で干し芋用も30本植えました。
一時期、水不足で葉が朽ちてしまい、ごめんね…とダメもとで水をやっていたら復活!!
この子たちの生命力に力をもらいました。見る度にありがとう、と思う。


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イチゴ。4本の苗からランナーを伸ばし、孫、ひ孫の苗を育てた結果、50本以上植えられた!!
続々イチゴが色づき、子どもたち(ご近所さんも含め)は毎日畑でイチゴをつまむ。
ただジャムをつくれるほど豊富に成るわけではないので、今後は肥料なども検討。


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落花生。カズさんの秋の愉しみ。発芽率が良くなく、種を買いなおしてました。
食べるのも楽しみだけど、この葉の姿がお気に入り。


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初挑戦のパクチー。
今年はオレガノ、ミント、バジルといった香草系も植えました。


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サニーレタス。の畝に赤紫蘇ちょろり。
種取りしたものから発芽すると嬉しい。
そして耕したのに去年のこぼれ種からいくつも赤紫蘇が出てきてこれまた嬉しい。
(まいた種からはあまり出なかった・・・)


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こぼれ種といえば小豆も。
今年は高遠の方にもらった黒小豆(別名、わんはげ!お椀がはげるほど舐めたくなる美味しさ、という意)を
育てるけれど、去年の小豆ちゃんもそのまま大きくなってもらいます。

これら以外も諸々植わっています。やっぱりこう見ても雑草がすごい(笑)
何が植わっているか知らない人が畑に入ったら、野菜たち踏まれるだろうな。
「今日はここの雑草取ろう」と畑に向かっても、いつのまにか違うことをやっている。
つまり手がまわってないというわけですが、
それでも夏野菜はたくさん食べられるはず!去年の経験から。

畑に出る。「やらなきゃ」もあるけれど楽しみがたくさんある。
こんな日常に、満足している。

今年のお田植え、そして。

来年は田んぼ借りないことも考えている

と、カズさんが言った。
今年のお田植えをする直前で、まだ来年をどうこう決めるときではないのだけど、
それを聞いてから稲作に関わってきた年月、情景、言葉、感覚を思い返した。

初めて千葉県香取市のピースシードさん(ノリさん、マリさん)の田んぼに行ったのは
もう10年以上前になるのかな。
それから数年間は、田植え・草取り・稲刈りの3大イベントには必ず通った。
手で植え、手で雑草を抜き、鎌で刈る。ほとんどヒトの手による作業。

泥に入るの、気持ちいい!
太陽の光、体を涼ませてくれる風、鳥のさえずり、自然の中って心地いい!
身体を動かし、食と関わることの尊さに気づく。
ひと苗ひと苗を土に差し込むとき、食に対するありがたみを感じる。
小さかった苗が背丈を伸ばし、やがて穂が出て、黄金色になるさまは美しく、力強い。
そして収穫したお米のみずみずしく美味しいこと!
体験した人にしかわからないだろう充実感、満足感。

そのうち種から苗を作ることも教わり、仲間といちから作業した年もあり、
ハナムスビで人を募ってノリさんの田んぼのお手伝いをすることでまた新たな出会いがあったり…

伊那谷に来てからも、ご縁で早速田んぼを借りられた。
初年は飯島町、去年から自宅近くで。
「お田植えするから来てください!」と言うと、関東から何人も集まってくれた。草取りも、稲刈りも。

2017年も、不動前ハナムスビからお付き合いくださっているガーデンマスターさんとそのつながりの方、
古くからの友人が手伝ってくれて、5月27日から3日間で、約1.3反の田んぼに苗が並んだ。

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今年は、地元のおばあちゃんが突然現れさささーっと往復で植えてくれたり、
娘の友人がキャーキャー言いながら植えてくれたり、予期せぬゲストとの作業もありました。


来年、もしかしたらお米作らないかもしれない。
そのことを考えながら田んぼに入った。

稲作があることで、時間が取られることは確か。
畑もあるし、子育てもあるし、もう限界だと嘆いている自分がいる。
でもいざこの営みが全くなくなってしまうとなると…

収穫する喜び。
新米を口にするときの楽しみ。
大切な人たちに食べてもらえることの幸福感。

んんん。やっぱり稲作を全くしなくなってしまうと、味気ない一年になってしまうかもしれない。

そして改めて問う。
どうして手で作業するのか。

農薬等、食の安心のため、もある。
体験で得られるもの、もある。
でも一番は
賛同してくださる皆さん、手伝ってくれる皆さんの想いがハナムスビのお米に宿り、
そしてそれを食べてくれる方の力になる、ということだと思う。

ハナムスビを通して、田んぼを通して、お米や野菜を通して、
カラダとココロが元気になる人がいれば本望。
そう、そのことをもう一度胸に刻んだ。

農作業、ゲストハウス、ワークショップ、整体、そして生活。
そのときそのときで取捨選択は必要で、
何を大切にする?何かを忘れてない?と確認することは怠らないようにしたい。

まずは今年の苗たちが丈夫に美味しく育ちますように。

☆草取りしてくれる方、随時待ってますー!☆



生は肌感覚。ライブだね。

身体を使って「生活」をする、、、
伊那谷へ来てなおさら気づかされるわけです。

この生を肌感覚で堪能できるって最高の贅沢だな、と。

無心に土木作業をして汗流して、
種蒔いて、
草刈って、、、

春も半ば、
伊那谷はこれまで肌寒かったのが一気に暑くなり、
地温がグイグイ上がっている。
草木がアレっという間にで伸び、芽を出して、場の勢力を競い合っている。

感じる。
春はヒョイヒョイ身体動くし、、いつスタート切ってもいい状態がある。
アドレナリンが精神安定のセロトニン(冬はセロトニン優位に感じる)を抑え、徐々に興奮度を上げてくれる。

半面、一年分の糧をきちんと得るための準備と、
多くの生命(特に稲)に関与するという責任感があり、
時に大丈夫か?と不安になったり、
いやいや心配ない!と言い聞かせたり、
実際ちゃんと育って一安心して、
一喜一憂という、ヒトのヒトたる喜劇のようなことをやっている。
経験こそ自信につながる。

こうやって経験がヒトを成長させてくるのだなあぁ、と感じ入るばかり。

生活と身体の使いにフォーカスすると生きる充実感が増していく。

「めんどうくさい」
を卒業しよう。ただの脳の問題だから。
可能性が無限に広がるし、気持ちいい。

明後日、
土曜日から月曜日にかけて田植え。

このためにトレーニングしてきたし、
田植もトレーニングそのもの。
肉体が強くなる。
(安定感がぐっと増す。ぬかるみで足が取られる中での作業はバランスをとりながら踏ん張りつづけることになるから)

そう、
いつでも何でも来なさい!

というフィジカル。

家族と、親戚、稲作に一緒に携わった人たち、
子どもたち、生まれ来る命、、、
そしてご先祖さまへ。

あらゆる成長と感謝の米となるように

というマインド。

心地いい緊張感が胸の内側で、まだかまだかとソワソワしている。

生は肌感覚、
ライブだね。


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