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ハナムスビ オフィシャルブログ

豆料理のレストランを経て、ここ伊那谷で生活を一からスタート 自然の循環の輪に入れさせてもらえるうよう

まだ土の時代です

風の時代?

何言ってんですか~
太古の水の時代から土の時代を経て、風の時代になるですか?

どうやら物質的な所有から共有(シェア)へのシフトというのが大きな要素で、それを土から風とメタファで言っているらしいのですが、何というか、そのメタファのセンスにとても軽みを感じてしまいますね。

大地から必要以上に刈り取った挙句、ハイ次!って、、、
地球の資源が尽きるから宇宙へ、みたいな文脈で精神性も語られるってことですかね。所有から共有へ向かうのは必然と思いますが、土から風という元素的な強い単語でメタファを語られると、どうも、あ、いつものヤツねと感じてしまいます。
土への向き合い方に新しい風を吹き込む、なら分るんですけど。

大地に大いなる感謝を

土に向き合いながら共有という精神性を育むのがスジでしょう。
そこを風とした時点でまた同じ道ですよ。本気ですか?


いやいや、畑のことです。
不耕起栽培二年目。

前年、畑の周囲に深さ30~40センチの溝を掘り、細い木やおがくずを敷き詰めました。
全長100メートルくらいでしょうか、それはそれは土木の基礎というか、スコップさばきの特訓のようでした。どうにも硬く締まってしまう畑の土を柔らかくするために、地面下に水脈ができるよう促したのです。

畝はしばらく固定化するために、畑に絵を描くように、動線を考えながら大改良したのが去年。
こちら

畝と畝の間に緑肥をまいて、刈っては草マルチにするという反復をこなし、表土をむき出しにしないことに努めました。

むき出しにしないことで見た目の変化がありました。
それは水たまりができないことです。以前は周辺の畑と同じで、雨後水たまりができる。つまり土が雨によって締まってしまい水が下に吸い込まれないという証左なのですが、周囲の人たちはそうなるとトラクターで土をかき回せます。草刈りの意味合いもあるのですが、こうすると、また雨で締まってしまう。

この悪循環から脱出するにはたくさんの草をはやすこと。根をたくさん広げてもらえば、その分、雨の水は下へ流れるというものです。その下に流れた水もいつまでもそこに留まることの無いよう、周囲に掘った溝へとうまく流れてくれることを期待しているのですが、それはもっと経過を見る必要がありそうです。

草をはやすと言いますが、これは手を加えない訳ではありません。

ハコベを中心に、土の環境が弱酸性になるように雑草と呼ばれる草草をセレクトして移植しました。参考にしている自然菜園では、ハコベ、オオイヌノフグリ、ヒメオドリコソウ、ホトケノザあたりが占めている畑は最高のステージとされています。毎年春先に畑の東側にスギナが群をなしていたのですが、今年は半減どころか、ちらほらと顔を出す程度で、その分、最高ステージの草草が群雄割拠、勢力を伸ばしています。スギナは酸度が高いところを好んで生えてくるので、つまり畑の酸性度が和らいだことを示しています。

酸度が和らいだポイントとしては、やはり一年を通して草マルチをしていたことが考えられます。
刈っては敷き、刈っては敷きの無限ループで、表土の上に刈草があることで、その間に菌類、細菌類、原虫、虫たちが自由に住める環境ができるのだと思います。
その活動から排出される有機物が土を作っていく、、、

畑は成長するものとどこかで読みましたが、まさにその通り、初年度だけに大きな変化がありました。

耕して畝を作らないのは重労働が一つ減って良いのですが、その分デメリットというか、畝の管理が難しいですね。通路と畝の境がだらりとなだらかになってしまうのと、畝の表面が平らでなくなってしまうのは二年目だからでしょうか、葉物の種を筋蒔きするのに凸凹になってしまいます。

それとモグラの通路がそのままなので、種を蒔こうと少し掘ると、グボっと下に穴が抜けてしまうので整地するのが面倒だったりします。

不耕起=全く耕さない、というアタマも硬くしないように考えていますね。
ネギなんて不耕起ではありえないので、そこは臨機応変で観察しながら畑と共に成長していこうかと思います。

さて、今年の生育はどうなるでしょうか?

すでにいくらか地植えしましたが、今年はなかなか地温が上がらず、スタートが遅れています。


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今年はキムチ用のトウガラシの種をゲットしたのでたくさんやります。



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畝の間に生えているのは緑肥となるクローバーやイネ科の草草

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ヒメオドリコソウ

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オオイヌノフグリ

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ハコベ

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畑の東側に今年は深く自然耕起してくれるライムギを

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家の二回から。畑は楽しい

不耕起栽培

不耕起栽培
不耕起、つまり耕さない農法。

もともと休耕地だったこの畑は堆積していた栄養素が多くあったこともあり、特に何もしなくても豊作でした。農法をアレコレというよりも、肥料すら上げなくても美味しい野菜ができてたのですが、一昨年あたりからトマトの出来が悪くなり、大根や白菜などの秋野菜も成りが良くない、、、

さてどうしたものかと考えていたら、このと出会い、数多ある農法から不耕起栽培を主にやっていこうとなりました。

正統派の自然農のように、外から何も持ち込まずにその畑だけで完結するような農法(肥料もあげない)にいきなりジャンプすることせず、最小限の持ち込みで循環させていこうと思います。

コンポストをしているので、肥料に循環させるのも目的としてあります。ガチな自然農はそれもできないようなので、今目指しているのは、不耕起有機栽培となるのでしょうか。いずれ、土の状態がとても良くなり肥料すらあげる必要がない、となれば自然農と言えるのかもしれませんが、そこはいずれ。

狙いがいくつかあります。

・耕さないことで土をフカフカにする。

 雨が続けばどんどん締まっていく畑。ここを改良したい。それにはトラクターを畑に入れないで様々な根を掘り起こさないようにする。根は自然のトラクター。せっかく深くまで掘ってくれたのに、わざわざ抜かない。その根と土に隙間があることで水や空気が流れ、微生物が住める。この隙間を大切にしたい。重いトラクターはどうも土を固めてしまう。

・微生物にとって心地よい住処をつくる

 耕うんして表土をむき出しにしてしまうと乾燥して微生物は住めなくなるようです。耕うんせず、刈った草や前年の野菜の残置物を土に覆うことで表土との間に微生物たちの住処が生まれる。細菌、菌糸、粘菌、原虫、虫、、、この、表土と堆積物の間に多様性が生まれることで、土は生きたものになっていく。たくさんの微生物に気持ちよく活動してもらうことにより、多くの有機物、天然のたい肥が作られる。外からエネルギー(肥料)をなるべく持ち込まないことが、この農法の魅力的なところ。
 そのためには多くのプレイヤー達に良い場を提供していくのがヒトの役目。

・酸性になりがちな土を弱酸性に

 不耕起であると同時に、この農法をうまくいかせるためには雑草と言われる、そこここに生えている名のある草たちを管理することが求められます。ハコベ、オオイヌノフグリ、ナズナ、ヒメオドリコソウなどが一面に生えた畑は弱酸性となり、どんな野菜でも育つらしい。
 ちなみにハナムスビの畑は酸性土の代名詞スギナが去年までは多かったのですが、今年はそれが弱まったのか、冬草ではハコベ、オオイヌノフグリが多く、夏草ではアカザが一面を覆ってます。それにしてもアカザの量がとてつもない!草たちの群雄割拠は変化していくので、その後押しをして弱酸性の土に。それにはやはり微生物のハタラキが重要なようです。


このように、植物をどう育てるか?ではなく、それは二の次で、多様性のある土をどう育むか?がベースとなっています。農はどうしても人が介在する営みなので、自然のままとはなりませんが、自然に近い環境を作って植物に気持ちよく生長してもらうのは、お互いの存在意義としてとても有意義なものだと思います。同時に僕らが植物から、土から、自然から学ぶことが増えていく。

こんな期待を不耕起栽培に抱いています。
ただ、これからニ三年、産みの苦しみというのか、病気や虫にやられてしまうことを覚悟しなければならないようです。しかも、ただやられるに任せるのではなく、その環境の変化をよみ取って、この場で独自の解決を見つけていくというもの。たくさん学べそうです。

命ある、美味しい野菜を育てたい。

さて、不耕起なので、畝(うね)が固定されます。
今後、畑の景観が変化しないので、真っすぐ長方形の畝が何本も並ぶ畑はワクワクしないなと、円を作ったり、長方形の畝の角をRにしてみたり、真っ白なキャンパスに、頭を真っ白にして描いてみました。不耕起ゆえ、草が多く生えているけれども、整然として美しく見えるように。

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畑の中心。よく歩くのでチップを敷いて踏み固めないように。迷路みたいでいい。

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今年は初年度だから裸の部分が多い。右ほうれん草、左サンチュ。真ん中はミックスベジタブル。

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長い畝の間に緑肥という、土に漉き込んでそのまま肥料にする草を栽培。

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えん麦 赤クローバー クリムソンクローバー イタリアンライグラス ペレニアルライグラス オーチャードグラス この栽培法は、とにかく草マルチ!

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みんな大好き里芋。けなげな、、、

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ニンジン。

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トウモロコシも草マルチ


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サンマルツァーノ。このトマトを上手に育てたい。

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この栽培法は草マルチとコンパニオンプランツはセット。トマトの脇にバジル。長ネギもトマトのコンパニオンとして植えてみた。どちらが相性がいいだろうか?

45種の野菜を梅雨入り前に植えました。
今年は豆を7種類、トウガラシ系を5種類と断トツですね。
豆は基本ですから。自給率を上げるためにも。

7月から夏野菜が本格的に採れてきます。
早く行き来ができるようになってほしいですね。



きっかけはコロナ

今年は穀物を多くやろうと思う。
米、麦、大豆をはじめとした豆類、、、

経済もどうなるか分からないし、最悪現物(食料)が高騰しかねない。

そして
コロナだけでなく、バッタも、、、

今一度、土に還ろうよ。
この先何が起こるか分からない。情報に振り回されず、長期的不安を安心に変えるには、いつでも行ける田舎をもつのが得策だと思う。畑を耕して、共に汗を流そう。売って買うだけの生産者と消費者という関係だけでなく、何か起きたときに助け合う、良好な関係を築くのは、この先を思うととても重要なこと。

いっそ移住してもいいと思う。

ここ伊那谷に来て5年。
ようやく人を受け入れる体制ができたから、そんな場づくりをしていきたい。

ここ伊那谷の良いところを。

新宿から4号線、中央道で3時間半。
ここ伊那谷は日本に二つとない特別な地形をしている。中央アルプス、南アルプスという三千メートル級の山脈に挟まれた巨大な谷であることで、日本中が大騒ぎになる台風でも高い壁に阻まれて弱まる。
中央道があるものの、この谷の上は辰野(たつの)で狭まっていて、下は飯田からごく細になっていくので、この谷への出入り口がふさがっている。
これは大げさに言えば陸の孤島で、大都市(名古屋、東京)からそう遠くはないものの、人の交流が少ない。
文化も残されていて、田畑が都市に向いた単一作物でなく多様性があるから、何か最悪のことがあれば地域内で廻るだろうと思われる。
住む所によるけど、物理的に人との距離もあるから、特にこういう時に余計なストレスを受けない。

寒いけれど、だからこそ生活がしまって楽しい←これは全くもって僕の趣味的感想だけどw

弱点を上げるとすれば新鮮な海の魚がないことと、経済基盤が都会に比べれると弱いから収入も減る。でも生きていけるよ。

そんなわけで

是非ともここ伊那谷を田舎にしてもらいたい!

ハナムスビがそのきっかけになればとても嬉しい。

ということで、移住したい人、
土に触れたい人、
田舎をもちたい人、
食料に不安がある人、
未来を明るく生きたい人は、是非ともここに来てくださいませ。

繋がろう。

厳しいけれど、この騒動はいつかは収まる。

今、痛々しいほどの誹謗中傷がそこここで生産されている。イヤだね。
人のせいにできるほど誰も完ぺきではないのに、誰かを陥れないと気が済まないようだ。
これが収束したら悪いもの探しが始まるだろう。差別や分断が大きくなっていきそうだ。

僕は独裁、権威主義的な国家を容認しないけれど、今、イランや北朝鮮はどうなっているのだろうか。
アメリカに背いているというだけで、WHOが何かしてくれているのかもわからないし、イランは惨禍にあることが分かるけど自業自得としていいのだろうか?

今ある脅威はウィルスであって人類共通のものなのに、イデオロギーがための命の重量差があっていいものだろうか?
こんな時に北朝鮮がロケットをぶっ放していることは、斜め上行ってる感あるけれど、物資の少ないイランで何が起きているか、、、

ドメスティック(国内)ではそれどころでない。

実際は、できることは多くなく、
限られているリソース(医師、検査、病床などの資源)で、そのカードを最大限有効に使うためにどうするか、と思う。

そもそも、みんな未成熟、未完成で、進化の途上にいる、というところから始めないと。
完ぺきを求め過ぎだし(もちろん間違えをただす機能は大切)、後出しじゃんけんしてワーワーいうの疲れる。
それが9年前に大いに分かったことなんじゃないのだろうか?

未成熟だけど、例えば30年前よりは確実に進歩していて、死者数が抑えられていることも事実だろうと思う。

どうか、肚をくくって冷静に。
そして第一線で戦っている医師たちの、その恐怖と疲労を想像して、うまくいくよう僕らも学び、行動し、感謝しよう。

政治家(与党も野党も)とテレビが一番ダメダメだとハッキリして、ホント残念だけど、これも今の僕らのリソースなんだ。
ここ何年か、ずっと揚げ足取りしかしないプロレスやってきたから、この期に及んでもまともな国会運営ができない。
民主主義、ここに極まれり。

僕ら自らが変わるしかない。
これも9年前の答えだった、、、

後退している訳ではない。
一夜で物事は変わらないし、その芽は早春のフキノトウのように見えにくいから。
変化はしている。

しばらくは、ネガティブな差別や非難が重くのしかかってくると思う。
そこに同調することなかれ。
古めかしい、前時代的なヒトのエゴを無視することこそが真の理性への導きなのだから。

そして、
もう一度、土に触れよう。
それは戻るのではなく、原点を再確認すること。
きっかけはコロナ。
新たな世界が待っている。

良い旅して、たくさん笑おう。

peace

土=人 土に還る

土は植物を養い、つけた実を分け隔てなく与えてくれる。
その深い慈悲を忘れ、ヒトは独占しようとしている、、、

サティシュ・クマールは新たな文明、幸福の追求には、
今一度、土に触れ、その無限の慈悲を見つめなおすことが必要だと説いている。



近年のDNA解析で、これまで見えなかった土のハタラキが分かってきた。
それは、微生物と僕ら生物は、もちつもたれつ、共に助け合いながら生きてきたという、
ごくごく当たり前の事実。

微生物というと、
その発見が感染症に始まったから、大きく悪いイメージが先行してきた。
それらを叩いたことでの恩恵もあったけれど、
すでにいたちごっこになって、耐性をつけてしまい抑えつけるのは無理だというのが共通認識、、、
で良いですよね?

そして、
地球から、土から搾取するだけのポイ捨てな経済活動。
資本はお金ではなく、あくまでも地球にある資源が担保になっていることをお忘れなく。
ハイパーインフレになったとき、ああ、食べ物が基本だな~と理解するようじゃ遅いです。

今こそ、
僕らは土を通して新たな物語を紡ぐことを求められている。

科学がリアルに突き付けているのだから、、、

土壌のリアル

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デビッド・モントゴメリー
「土、牛、微生物」

土壌から見えてきた大きな問題、その解決法を示している。
ただの土壌問題本ではありません。

環境問題をはじめとした、多くの問題解決に迫れる可能性があり、
とにかく畑に出て実践しよう、そこからナラティブを語っていこうとヤル気にさせる、
光のある本です。

前著「土と内臓」も秀逸で、
やはりそうだったのか!と膝を打つばかり。
壮大な宇宙の謎に迫るような、ミクロの謎の解明でした。

土壌における、植物の根と微生物の共生関係。
例えば根は滲出液(炭水化物など)をだして、それを餌に微生物をおびき寄せコロニーをつくってもらい、
微生物はその見返りとしてリンなど、植物が直接吸収できないものを提供し、外的が侵入するのを助け、
それが水はけがよく保水性もあるという土の団粒構造となり、
お互いのベストな環境を共生で作り上げている。

実は、
人の腸内でも、植物と微生物の共生関係と同じような生理システムが働いていたという話。

小腸のひだから分泌される浸出液が微生物のコロニーを生成して、
その見返りにビタミンや人が自ら作れない栄養素をお返しし、
外的から守るための防衛をしている。

動物は腸で、植物は根で、
外から入ってくる栄養を吸収し、それだけでは成り立たないので、
微生物、菌類にアウトソーシングすることで、足りないものを補っている、、、

つまり、植物であれ、動物であれ、単独では生きられず、
このように相補的に足りないピースを埋めあいながら成り立っているのが生のシステムなんだと
この本は教えてくれました。

さて、
「土、牛、微生物」

ここでは、地球規模でおきている土壌崩壊が収量悪化をもたらし(すでに起こっている)、
もはや2050年に100億人を抱えるだろう人口を養うことができないと警鐘を鳴らしています。

原因は耕うんと、化学資材(農薬、肥料)にあり、
有機農法でも耕うんすれば土壌は荒れる。
これは、近年の慣行農法✖有機農法○みたいなロジックではなく、
収量が上がらず、土壌の有機質含有量が下がってしまうのは、
地表近くに微生物がいないからで、それは耕すからだと生物学的な観点からつまびらかにしている。

慣行農法はさらに殺菌し、窒素、リン、カリをすきこみ、
耕された土壌は表層が硬くなり、その成分のほとんどは川に流れ、海に滞留する。
メキシコ湾では膨大な化学物質が流れ込み生態系に影響を与えている。

むき出しの地表では風が有機栄養素をすくい取り、
砂漠化したように土埃を吹き飛ばしている。
伊那谷でも強風があれば、霧に包まれたように土埃のカーテンができる。
それは10年以上前ノリさんの田んぼで学んでいたときの千葉も同じだった。
アメリカは規模が違いそうだけれど、同じことが起きているという。

そこは微生物にとって快適な環境ではなくなる。

規模を拡大して単一作物を作れば作るほどに持続不可能となっていくのはデータによって明らかだ。
どんなにカンフル剤を打ってその場は持ちこたえられても、
土壌は荒れ、大量のカンフル剤は土壌から流出して川、海を汚染する、、、
はたしてそのまま子どもにバトンタッチしていいものかどうか、、、

土壌問題は、気候問題のように感覚として分かりずらいから、
問題が定義されにくいけれど、この土壌崩壊は喫緊に対処すべき課題だと作者は言っている。

その解決法は、不耕起、輪作にあり。

作者は世界中の、何十年と不耕起栽培を行っている農家を訪ねまわり、
その成功例を要約している。
慣行農法より単位当たりの収量を上げ、
さらにエネルギー使用、農薬も減って経費があがる、、、

皆がやっていたことは、
不耕起栽培で、被服作物(クローバーのような低く成長する草)を育て、
かつ前年に作った作物をそのまま朽ちるに任せるように畑に残す。
そして同じ作物を育てないで輪作する。

つまり、土を裸にせず、常に草でおおわれているので水分量が確保されて多くの微生物が育つ環境になる。

実際このムーブメントは同時多発的におこっている。

実践家が未来の農法として地道に広めているからだ。
ただ、難しいのはやり方が画一的ではないこと。
その土地の風土、気候条件によって人も植物も生き物の生育は違う。
それは微生物も同じこと。

観察眼が問われる。
自然のハタラキを嗅ぎ、語りかける必要があるようだ。

畑のコスモスは、それをいただく人の腸内のコスモスにもなる。
身土不二
はからずも先人の直感した言葉が科学の解明によって明らかにされた。
僕らはもう、分断や叩いてなくすという魔法の杖が使えなくなっている。

土と腸内は不可分で、
微生物というパートナーたちと、尊重し、良質な関係を築くことができるかという、新たなフレーム。

世の中はテクノロジーの進むに任せているけれど、
ここで一つ立ち止まって土にふれることは遠回りではない。
目では見えない世界がようやくわかってきた今、
この近隣者との関係を科学を取り入れながら創造していくことに明るい未来が見えてくる。

詳しくは割愛するけれど、
この農法でCO2も土中に貯蓄でき、脱炭素も実現できると書かれている。

隣の畑も地力が落ちてきたので、
今年から不耕起を始めよう。

近隣の仲間たちといい関係をきずけるように。

臼つくり、されど臼つくり

3年にわたる創作がようやく一つのカタチに

これからこの臼は、僕らの生活の一部となり、
ハナムスビの顔にもなっていく。

とにかく臼の穴を掘る作業、この労力が並ではなかった。
そもそも何度叩いても割れない硬い木を上から彫っていくことのチャレンジというか、
ある種の忍耐というか、先にある餅の美味しさを想像しながら、
それを分母にコツコツ彫り進めて行く根気をどう切らさないか、、、

なんとか仕上がりました。
いい感じ。

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去年の年末に、忘れもしない大怪我を手のひらに受けたとき、
巨大な硬い木を彫るということが如何におおごとかを身をもって知ることに。
しばらく倉庫の片隅に作業途中の臼が置かれ、
その確かな存在を横目に、一度気を切らすと再開が遠のいてしまわないか、
永遠にやらなくなってしまうんじゃないかという逡巡がありつつ、
春~夏の忙しさにかまけて手を付けず、、、

正直、彫り進めていくための、怪我をした機械を使うのをためらっていましたね。
これを使えば早く出来るのに、、、
他のアナログな道具で試行錯誤試してみたものの、
これがなかなか彫れない。
彫ってっも彫っても、小さなカスが出るだけで、どうにも進まない。

うむ、、
臼づくりは機械化され、
木に大きな穴を綺麗に彫ることが今や特殊で、
臼づくり用のチョウナという丸いノミは作り手がいないからか高価すぎて買えず、
ボンヤリ陽は落ちていく。

選択は二つ。
やらないか、あの機械を使うか、、、

この計画が盛木材の盛ちゃんからあがってから、
食べるだけでなく、正月の鏡餅を作ろう、
正月の、これからの一年を支えるべき大切な餅を作ろう!
盛り上があがていました。

こちら
こんなことも書いてます

出会いと出来事から見えてくる、「これから」というものがありますね。
仕上がりまでの3年という月日、
その労力、
途中の大怪我は大きなオマケ、
餅つく前から大きな物語が刻み込まれている、、、

やりますか
という気になったら早速、あの機械をもって仕上げにかかりました。
慎重に身体の位置、持ち方、攻め方を考えて、、、


何ごともやってみるものです。
ましてや「臼作ろうよ!」という希少な声かけに反応できないなんて損です。

これからのハナムスビの輪郭が見えてきました。

これを創るにあたって、声をかけてくれた盛ちゃん、
盛木材の仲間、
そして杵の材料を切り出してくれたタイキに大きな、大きな感謝を。
ありがとう。

これだけのことを自分一人ではできない。

この地に来て、
人に恵まれ、
新たな道が開けてきたなと深く感じる。
ヒト、コト、モノ、自分に取り巻くあらゆる現象を大切に愛でていきたい。

臼つくり、されど臼つくり
いい学びでした。

感謝、感謝

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